好きな調のこと

2021.5.23

 先日、外国の超トップスター御二人の伴奏をさせて頂くという、とんでもないおこぼれを頂戴した時の話。(※英語の訳し方には大いに間違いがある事を重々ご理解くださいませ!)

 ある空っぽのテーブルや椅子の曲で、「日本ではこの曲はBフラットでやってるよね、でも僕はAでやってたんだ。より暗い感じがして良いよね」というような話題になりました。その曲を歌った彼は、、、先に歌った彼は、転調した後のテンションの上がる感じも好きなんだとか。確かに転調した先がC#になると緊張感が否応なしに高まるのは弾いてても強く感じました。

 僕も「Bフラットは割とセンチな感じになって日本人の僕としては、ちょっと日本人の代表として言わせてもらうけど、それはそれでアリだと思う。でもAで始まるのも『空っぽ感』があって好きだね。そういう意味では、Bフラットで始めると転調先がDになって深刻さが増すという見方も出来るから、選べと言われると困るね」と返すと、彼も、
「そうなのさ、Dで終わって行くのも良いんだよ。でも
と言いかけたので、後は引き継いで
「でも、公演では次の曲が同じコードで始められるから僕が選ぶならAかな?ターニングからのコネクションも無理がないし!」
「その通りなんだよ。だから今回はAで頼むよ」

 なんて会話をしていたら、
「時に、モリサンは、どのキーが一番好きなんだい」と不意に訊かれました。
僕の好みの調を問うているのです。
 今は変イ長調の気分だと答えると、
「イイね!煌びやかな調だ、ゴージャスな気分になるね」と仰いました。

 まず、くれぐれも私のパートの台詞に関しては決してこんな流暢な形ではなく、実際は泥沼からぼた餅を取り出したような英語でやり取りをしていたという事はお忘れなく。こんなの(その場には居なかったけどリハーサル中は念の為訳して貰ってた)通訳さんに見られたら殴られてしまう。まぁ、そんな事は置いておいて、、ねぇ。こんな事聞かれた事あります?
 オケピに入って、初対面の方との会話の糸口を掴もうと「好きな作曲家誰ですか」と聞いてドン引きされる事があります。質問内容ではなく、本当に一度も話した事ないのに急にそんな質問をするからだと思われます。そういったノリで「好きな調はありますか?」と聞いた返答の聞き返しで同じ質問をされた事はありますが、相手からこんな事訊かれる日が来るとは、と嬉しくて堪らなくなりました。さらにはその調性に対する彼の印象を彼の表現で見せてくれる。

 

 異名同音調を含めて24調のそれぞれの性格を、その本の著者がそれぞれの主観でミニコーナー的に紹介している書籍は数多存在します。各調性の代表曲を挙げて「英雄的だ」とか「耽美だ」とか「天国的だ」とか言うのです。もちろん、音楽の感じ方なんて最も個人個人でのバラツキがあるものの一つだと思っているので、そういう考え自体には大変共感出来ますが、それを無闇に書籍で紹介する事については懐疑的です。そう捉える事は大賛成ですが、若干偏りのある情報を学習者に植え付けるのはまた違うと考えています。

 もしも「ロ長調は10歳までに二週間以上の入院もしくは骨折をした事のある人に響く調です」とか「ハ短調 すぐ出る。南東に有り。」とか「ト長調は午年の射手座のあなたにぴったりの調です。ラッキート長調はモーツァルトのKV199!お出掛けの際は折り畳み傘を持つと良いかも」とか書いてあったら私はそっちを支持したい。
 因みに私は、ブラームスは朝起き抜けにピアノに座って取り敢えずロ長調の一度の和音を弾いていたと思います。これだって個人の意見ですからね、人によってはニ短調だと言うかもしれないし、ハ短調だと言うかもしれない。まさかブラームスは起き抜けにピアノに触ったりしないだろう、という意見だって同じ感想として成立するもの。

 楽曲に対する印象もそんなもんだと考えます。参考までに、我ながら特殊だと思う私のクラシック曲に対する曲がった印象。

・小さい頃に肝炎で入院した時に、病院に向かう車の中でグリークのペール・ギュントの「朝」が流れていたので、未だにその曲を聴いても良い気分がしません。あんなにカッコいい映画みたいな和声進行をしてるのに、と思います。
・「舞踏への勧誘」を、まだ漢字もよく分からない頃に勝手に「無断での勧誘」と勘違いし、未だに楽曲自体に対する軽率な印象が消えません。「勧誘」は読めたのに何故。
・「小フーガ ト短調」は「あなたは髪の毛ありますか」だし。
・ジョコンダの「時の踊り」は実家の目覚まし時計の何とも不安を煽る音色の拍節感の麻痺した状態で認識していたし。(これは最近克服しました。むしろ疑問に思っていた事が氷解して、スッキリした系の想い出です。)
・カヴァレリア・ルスティカーナの有名な間奏曲を聴く度に、西田敏行さんと白い犬が車の中で生活している、という漠然とした画像が頭をよぎります。一時映画の予告編でやたらこの曲が使われていたせいだと思います。
・「フィンランディア」はドラムの打ち込みの8ビートが入っていないと物足りなく感じます。フックトオンクラシックスのおかげです。
・シューベルトのピアノ五重奏曲「鱒」を聴くとACを思い出します。阪神淡路大震災の時にACCMだらけで、毎回流れていたからです。当時は「公共広告機構」と言っていた気がする。
・ドヴォルジャークの新世界の四楽章は小学校四年生の時に教室の足踏みオルガンで湯村くんと連弾した思い出です。スコアを見ながら、一音一音湯村くんにメロディを教えて、その代わりに俺はJリーグのチームを覚えたなぁガンバ川崎とかモンテヴェルディ鳥栖とか。未だに覚えてるもんなぁ。これはプラスの思い出ですね。

 急に過去のナーヴァスな部分を曝け出しましたが、このノリで、さらにその時々にそれぞれの調性に対する印象があります。割と日替わりかもしれません。どんなにバリっと空が晴れてても嫌な用事がある日だと鬱陶しいように、家から出なくていい日に降ってる雨を眺めると何だか心が落ち着くように。例えが分かりづらいですが、印象なんてその時々で変わりますやろ、という事を主張したいのです。
 脱線が酷いのは御愛嬌。詰まる所、そういう会話を出来る事の素晴らしさ、だなぁと思ったわけです。

 

 会話の部分ですが、念の為、実際に私が発した英語に近いニュアンスで書き直しておきます。

私「私は、これは私が日本人だからかもしれませんが、Bフラットも少しセンチメンタルな感じがして、嫌いではありません。しかし、Aで始まるのは『本当の空っぽ』と私に感じさせる、それです。私は、Bフラットで始めて転調した後にDになります、という事が、より深い感情を表現する事を可能にすると考えられるという意見を持っています。私はそれらを選べません。」
彼「そうなのさ、Dで終わって行くのも良いんだよ。でも
私「でも、フルのミュージカルの時は、M27の頭がC#マイナーで始まります。それは、Aで始めたその曲のエンディングの和音と同じなので、私はAから始めることを選びます。それに、ターニングからのコネクションを考えた時に、スムーズなのはAから始めるそれです。」
彼「その通りなんだよ。だから今回はAで頼むよ」

 

こんなもんよ 私の英語 笑っちゃうわね 本当