2022.1.20
榎茸が好きだ。むろん食用の榎茸の事だ。某しゃぶしゃぶチェーンに行って、えのきだけだけを大量に注文するくらいに好きだ。
ここで一句詠むならば「白エノキ ブラウンエノキ 白エノキ」である。もちろんそこでの私の注文の仕方である。
歯に挟まるのは少しやめて欲しいけど、それも含めて好きだ。今晩はキノコ鍋だったのだが私がイオンで買い物籠に投入した「えのき茸 大」という商品は大変良い働きをした。現に今、歯医者に行ったら「左下1、2斜線、エノキ」などと言われるのだろう。
ここで一首詠むならば「エノキダケ 分量二倍の 大エノキ あったらいいな 特大エノキ」だろう。分量二倍でも値段はほんの少し上乗せされたぐらい、と言うのが本当に不思議である。
エノキは何にでも合う。甘味としては弱い、くらいがウィークポイントではないだろうか。えのきだけだけは何物にも変えられない。自分でエノキを調理する際はなるべく軸を残して束の状態で投入する。バラバラにしてしまうとあの集合体の部分が食べられないではないか。
そう、何と言っても根本付近の付かず離れずの集合している感が良い。他のきのこにも、例えば舞茸やしめじにも同じような部分があるが、やはりえのきだけにはえのきだけだけの集合感がある。ついでに言うと、石づきだけ切り落としたらそれ以上細かく切る事もしない。如何に軸を残して石づきギリギリを切るかに全てが掛かっている。例え石づきを切り落としただけの状態で調理を初めても、そのままの状態を保ってくれる事など決して無いのだから。今思いついたのだが、丸ままの状態で天ぷらにするのは良いかもしれない。形は残る可能性がグンと上がるであろう。もうすぐ恵方巻きを食べる時期がやってくる。恵方エノキ天でも北北西に向かって食べれば年神様も心意気は買ってくれるはずだ。
ここで一節詠むならば「エノキの軸だけ 販売すれば 誰が買うのか 俺は買う」となる。房の部分 (あの部分を「房」という呼ぶのかは知らない) だけが欲しいという人もいる可能性があるとすると、軸だけの販売も可能なのではと思う。
2028年がエノキダケ栽培成功百周年らしい。ちょうど良いので2028年にはエノキダケの為ダケの演奏会を開催しようと思う。前人未到の「エノキダケ協奏曲」を書こうではないか。そうしたらどこかの農協様あたりがスポンサーについてくれて、一年分の榎茸を私にくれるかも知れない。そうしたら私は1カ月足らずで完食してみせよう。
何気なく書いてしまったが「エノキダケ協奏曲」としてしまったら、榎茸を楽器として扱う事になるではないか。どう音を出すのだろうか。ヴァイオリンの弓の代わりに長いエノキを使う事になるとする。つまりそのような長いエノキタケの栽培に成功してしまったという事ではないか。それは、ダイエットメニューとかではなくもう「エノキ麺」と呼ぶに相応しい。私は麺類も好きなので、「エノキ麺」にはきっと目が無いのだろう。やがてエノキ麺は「ラーメン つけ麺 エノキ麺」と呼ばれるに相応しい地位を確立するに違いない。
ジョン・ケージはキノコが大好きだったそうだ。そういう意味では私もジョン・ケージと仲良くなれるかと思ったが、今改めて調べてみると微妙かもしれない。ただし、いずれ私の名前がウィキペーディアに載るような事があった場合には「エノキ研究」という項目を作ってもらえるように、今後少しエノキについての研究を初めてみようかとも思う。他のキノコに手を出すつもりはない。あくまでえのきだけだけだけに集中するのだ。
因みに食材で一番何が好きかと聞かれれば、それはもちろん米である。