「森 亮平を聴け!」第一弾プログラムノート

2022.2.20

2022221日の武蔵ホール配信コンサートのプログラムノートです。ヴァイオリンに粟津惇さん、チェロに中西哲人さんをお呼びして、私の作品を中心にプログラムを構成しました。興味のある方は動画(←リンクです)と併せてどうぞ。

 

  亮平 私は腹の痛みを持っている (直訳)
Ryohei Mori : J’ai mal à l’estomac

 オペラを観た作曲家が、帰宅後に覚えている主題でファンタジーを書くなんて事はよくあります。ミュージカルを振った作曲家が公演終了後に覚えている (気に入っている) モチーフを使って曲を書いても良いではありませんか。とやかく言われるのが嫌で詳細は書きませんが、副題として「ちよっとした引用を含むフランス風小品」と付けてある通りの作品です。
 割とフランス風が上手くいった気がしており、個人的には大変満足です。


ニコライ・カプースチン ピアノ三重奏の為のアレグロ
Nikolai Kapustin : Allegro for Piano Trio opus 155

 室内楽曲が親しまれている作曲家ほど、オーケストラの曲を見るべきだと思います。もちろん「有れば」の話ですが。この演奏会でも折に触れて取り上げているフランセや、プーランクは特にオーケストラ曲を見ると大変楽しいのです。
 ピアノ独奏にあまり興味が持てない私でも、カプースチンのピアノソロ曲に食指が動いた時期がありました。が、どこで見たのか聞いたのか分かりませんが「私の作品はジャズではなくクラシックだ」と言うような内容の発言をなさったと知ってから一気に興味が薄れてしまい、最近では敢えて聴こうと思うのは「アルトサクソフォンとオーケストラの為の協奏曲」くらいです。カプースチンの昔のオケ (というよりビックバンド) 曲とか凄く好きだったのですが。。(今でも聴けるか分かりませんが、昔は彼の公式サイトで過去作品の音源を聴くことが出来たのだ。しかも無料で)

 そんなカプースチンの室内楽に取り組むのは大好きで、これが中々に形にするのが難しい。それが楽しい。そしてまず音を並べるのも大変。(個人的に、です)
フルートとチェロとピアノの為のトリオもいつか取り上げたいと思っているものの、まだ下払さんの説得が済んでおりません。笑

 ざっくりラヴェルあたりから「ジャズ」の語法がクラシックに取り入れられるようになり、『ジャズの語法』という表現がクラシック界に跋扈する事になります。取り敢えずちょっとそう言う和音を見付けたら『ジャズの語法を用いている』と言っておけば良いので楽なのは分かるのですが、如何せん使い過ぎな印象があります。
 結局カプースチンについては「クラシックの演奏家が書かれている譜面を弾いた結果、ジャズっぽく聴こえる」という触れ込みで作品が出回っている状態がイマイチしっくり来ないんだと思うのです。こう言うと何かと噛み付いてくる方々もいるとは思いますが、バッハとモーツァルトとベートーヴェンを演奏する時に同じようなアプローチの仕方をするかという話です。カプースチンの昔のビックバンドの作品が好きだと書いたのもそう言う理由で、ちゃんと専門家が演奏しているということが何よりも良いと思ってしまいます。

 どうしてもクラシックの立場からの目線になってしまいますが、ジャズとクラシックを比較する時にどうも「楽譜の存在とアドリブの有無」だけが取り沙汰されて、それ以外の重要な事に全く目を向けられていない事が多いと言うのは、随分な傲りだと思ってしまう今日この頃です。


  亮平 ヴァイオリンソナタ
Ryohei Mori : Sonata for Violin & Piano D flat Major

『耳をすませば』を観て「ヴァイオリンをやりたい!」と言い出したのを覚えています。結果、小学生の間六年間、習わせてもらっていました。中学校に上がる段階で「学業に専念する」という理由で辞めてしまった事を今でも後悔しているのです。そのせいで、とは言いませんが、ヴァイオリンという楽器には格別の思い入れがあります。

 上京して知り合った迫田君という同級生のヴァイオリニスト (三月の『プーランクも聴け!』に登場します) が居ます。彼とは毎晩と言うと大袈裟かもしれませんが、かなりの頻度で学校から譜面を借りてきて集まっては、名前も知らないような作曲家のヴァイオリンとピアノの為の作品を初見で演奏して遊んでいました。数々のどうしようもない曲との出逢いに、稀にある大発見。
 確かアイヴズだったと思うのですが、ヴァイオリンパートに歌詞が書いてあってそれを急に歌い出した時には腸が捻じくり返るかと思うほどにツボに入ってしまったのを今でも覚えています。「フィッシャーマン。イェス!」という歌詞でした。
 当然そんな事をしていると、認知している (一度でも触った) ヴァイオリンソナタの数はかなりのものなのに、弾きたいなぁと思わせる曲の少ない事と言ったら!そこで自分が書けば良いと何故かあまり思わなかったのか、実は多楽章形式の真っ当なソナタは完成しないまま今日に至ります。

 この作品を書いた経緯はほとんど覚えていません。ある時、伊勢に滞在していた二日程で今形にしてあるほとんど全ての構想をまとめた事と、その際に第三楽章 (つまり最終楽章) にあたるテーマまで考えていた事だけは確実です。……つまり、今の状態では未完成という事になってしまうのですが、そこまで (最終楽章まで、という意) 書く気が今の所起きないのと、現状では下手に後続楽章を書くよりも、第一楽章だけにしておいても十分だと思ってから早三年程が経ちました。
 弦楽器に対してフラットの多い調を書くというのは一般的には稀なのですが、不思議なものでこの曲は最初からヴァイオリンとピアノの音で、変ニ長調を採っていたのです。一瞬たりとも移調しようなんて考えませんでしたし、冷静になるまでこの曲がフラット五つも付くような調であるということも意識していませんでした。

 今回の企画を発案した時に、粟津さんにお願いするぞと考えた次の瞬間には「粟津さんにこのソナタを弾いてもらえたら素敵だ」と思っていたので、実現して大変嬉しい限りなのです。


ナディア・ブーランジェ 三つの小品
Nadia Boulanger : Trois Pièces 

 人様の曲なので普通に楽曲に触れていこうと思います。

 一曲目は変ホ短調。私のヴァイオリンソナタで、弦楽器に変ニ長調が如何に珍しいかと書いていたのに、更にフラットを一つ増やしておりますね。ピアノが淡々と高いところで揺れていて、チェロが旋律を落としていく様子が大変印象的です。
 二曲目は半拍遅れのカノンで全体が構成されています。民謡的な主題が心地良く「小品」の名に相応しい楽曲です。チェロが先に出て、ピアノが後を追う形になっているのですが、当然ピアノは他の音も少し弾いていて、その音符がカノンとなっている声部の音よりも幾分小さく表記されており、非常に見辛いというオマケ付き。豆譜、ガイド、とか言うのですがそう言う場合は他の楽器の演奏している部分が書かれている場合が多く、下手すると「弾かなくてもいいのか?」と勘ぐってしまうのでこの書き方は出来たら今後やめて頂きたいですブーランジェ師匠。
 三曲目で、いきなり!?と思います。少なくとも私は思いました。どういうコンセプトで三曲をまとめたか分かりませんが、俺がもし教える立場で生徒がこの構成で書いて持ってきたら一言言わせてもらうと思う。そこが天才と凡人の違いなのかもしれませんね。。
 中間部には、ナディアの妹であるリリ・ブーランジェの香りを感じさせる部分もあり、結局一番ブーランジェらしいとは言える楽章です。聴き終わった頃には、脳内に「ここで、クエスチョン」と言うセリフが過ぎることでしょう。


亮平 ピアノ三重奏曲第二番 ハ長調 35:00
Ryohei Mori : Piano Trio No.2 C Major

 とにかく「春」というような上昇思考的副題が付いて然るべき勢いの楽曲です。現状で私のピアノ三重奏曲(Vn. Vc. Pf.の編成のもの)は二曲あるのですが、その第一番 (「森 亮平を聴け!」第三弾で演奏予定です) と対照的、とは言わないまでも、精神的にかなり反対側にある作品です。 雑に言ってしまえば「若い」という表現になってしまうのが痛恨の極みではあるものの、今振り返ってみればここまでのテンションを保ってよく書いたなぁと過去の自分に舌を巻いています。

 第一楽章はソナタ形式。やりたい事全部やったな!という感じです。展開部で広げすぎたのを省みてか、再現部では無理矢理第一主題と第二主題を同時に再現させています。このトリオ全曲を通して「ミ」の音に随分と固執していますが、それも狙いだったのです。楽章最後のヴァイオリンに、開放弦を逃れられないE音を何度も弾かせるのもそう。

 第二楽章はスケルツォ的な楽章で、トリオではショパン的なメロディが顔を出します。……というかショパンだという事が発覚致しました……。恐ろしい事に書いて初演して聴き返してもしばらくするまで全く気付かず、たまたまショパンのワルツを嗜む程度に弾いていたら、なんか聴いた事があるぞとなりまして……確認したら自分の書いた曲だったという大事故です。
 そのワルツも知らない曲じゃないし (本番とかでは弾いてはないけど多分練習した事もある) 当然私が剽窃したんだろうと責められても反論出来ないのですが、これは直すべきではないと判断してそのままにしてあります。……多分、ショパンも許してくれるのではないかと思う。。

 余談ですが、ショパンのチェロソナタの第二楽章の中間部の旋律が大変に美しいのです。初めてお会いしたのが恥ずかしながら大学在学中の初見の授業だったのですが、絶対聴いたほうがいいと思います。笑

 第三楽章からは曲が終わるまで止まる事なく演奏されます。粟津さんはこれ以降が全て第三楽章だと思っていたらしく、確かに切れ目がないのでそう思われても仕方ありません。
 かなりスケールの大きな盛り上がりのある第三楽章は、三部形式の緩徐楽章と言って良いのでしょう。ト長調で始まり、後半でテーマが再現される際に全く旋律の形を変えず伴奏がホ短調になります。ここでも「ミ」という事ですね。メロディは正式にはホ短調には終止せず、ヴァイオリンのカデンツァ的な経過部を挟み、第四楽章の変奏曲へと繋がります。

 第四楽章の主題は第一楽章と同じもの。恥ずかしながら循環形式でございます。(二楽章でもそのテーマは出してあるのでこれは紛れもない循環主題であります) フィナーレを含めると全部で九つの変奏が行われます。折角なので各変奏の説明も。

 第一変奏 ヴァイオリンとチェロの二重奏による変奏。かなりシンプルに「デュオにしただけ」ですが、終楽章直前のカデンツァ以外では初めてピアノが居ないままある程度の時間が経過するという部分なので、割と新鮮に聴こえるのではないでしょうか。
 第二変奏 三連符を中心にした変奏。かなり古典的な書き方をしてあります。
 第三変奏 三連符と来たら十六分音符でしょうという事で勢いそのままに駆け抜けます。この辺りからテーマの変わりようが印象的に感じるのは私だけでしょうか。メロディの扱いに関してはこの後の変奏全てに於いて「こういう変え方って良いよね」と素直に思えます。手前味噌も甚だしいですが。
 第四変奏 ずっとピアノが十六分音符を担当していましたが、今度は旋律としてヴァイオリンが細かい音符を引き継ぎます。こういう自由な変奏の仕方も好きですね。
 第五変奏 半分ふざけているような感じです。こういうのも変奏と呼んで良いというのはプーランクやフランセから学びました。
 第六変奏 大変珍しいピアノのみの時間です。弾くたびに「やっぱりピアノだけになんかしなきゃ良かった」と思います。でも、弾き始めとか結構気に入ってるので「無けりゃ良かった」とは思いません。笑
 第七変奏 接続詞的な変奏、とでも申しましょうか。雰囲気を一気に変える為に不可欠な変奏なのですが、どうしても変奏の一つとカウントしづらい変奏です。
 第八変奏 ここまで聴いて下さった方には恐らく心地良い諦めを感じさせるのではないでしょうか。個人的にはここの為にずっと演奏して来たなぁと思う所ですし、何度聴いても自分の曲ながら感動してしまう所です。恥ずかしい。
 フィナーレ テーマが二拍遅れで演奏されます。短めの交響曲に等しい演奏時間を締めくくるに相応しいエンディングの最後の最後で、第六変奏の冒頭音形 (C.E.A.F#.G)が顔を出すのも何かと感慨深いものがあります。


「森 亮平を聴け!」は全三回の構想なのですが、初回にして「聴くにも演奏するにも最も大変なプログラム」になってしまいました。昨年一年間、武蔵ホール配信コンサートに私が出演する回ほとんどで新曲を書かせて頂いて来て、常連の方々がいるとすればこれまで聴いてきた「森 亮平の作品」像との対比を楽しんで頂ければ尚の事幸いです。