2024.8.17
腕時計に興味がない。これは我ながら本当に良かったと思う。そもそも装用するタイミングもあまりないのに腕時計に興味があったらと考えると、そんな無駄遣いは無い。
今どきは、時間を知ろうと思ったら (携帯電話を見るまでもなく) よほどの山奥でもない限り、周りを少しばかり注意深く見渡せば大概の場合何かしらの方法で時間は分かるものだ。
しかし、家の時計は違う。そもそも家の中なら余計に、時間を知ろうと思えばいつでも目に入る所に時間は表示されている。携帯、パソコン、タブレット、エトセトラ、エトセトラ。
時計と言っても目覚まし時計はまた別で、ただ機能がしっかりしていれば良い。寝起きに無理やり起こされた鬱憤を一身に受けさせる事を考えても、過度に思い入れがあるモノを使うのも怖い。今回の話はあくまで「家の掛け時計」について、なのだ。
時間が正確に示されていれば良いという段階は既に過ぎ去っている。実際、十数年もの間ソーラー電波デジタル時計で過ごして来た。停波でもしない限り、または太陽が消滅しない限り、正確な時間が提供され続けるのだ。ただ、それだと「何か」が足りないと思い始めて数年が経った。正確な時間はすぐに分かるし、ご丁寧にも今の家は正午と18時 (冬場はどうやら17時) には時を知らせる音が外からも聞こえてくる。充分過ぎる。充分だと分かっていてもしかし、何かが足りない。
言ってみれば壁掛け時計は家の顔なのではないか、と考えるようになったのがいつからか分からないが、個人的には誰かのお宅にお邪魔した時の記憶を手繰ると大体の場合「時計」が最初に出てくる。もしかすると自分が誰かのお宅にお邪魔する時には、無意識のうちに時計に注目しているのかもしれない。
そんな事もうっすら忘れかけていたところ、桜の木で造られた時計に一目惚れした。「ミュージアム飛騨」の売店だった。店の方は我々がミュージアムに入った時から丁寧に館内の案内をしてくれた方で、館内の細部に渡り丁寧な説明をしてくれて、売店目当てで行った我々が割と長い時間ミュージアムの観覧をしたのは彼のおかげだと思う。売店でも、こちらの心をくすぐるセールストークを恐らくは天然にしてくださった。そんな彼が、時計については歯切れが悪い。こちらが興味を出したので本来なら一気に攻め込んで来るべき所なのではと思うのだが「電波時計じゃないから」と何度か仰っていたのでそこを気にしているのだと思う。
手作りなので個体差があるとの事で、店内数ヶ所に散りばめられていた全ての同じモデルのものと見比べさせてもらったが、やはり最初に気に入ったものに決まった。
帰り道に運転しながらふと、その時計に秒針が付いていた事を思い出す。音を扱う仕事をしているからかなのかは分からないが、割と秒針の音が気になるタチだ。本番中など神経が普段より敏感になっている時には、少し離れた場所にいるプレイヤーの付けている腕時計の秒針の音ですら気になることもある。
しかし、そんなに気になっただろうか。店で見比べていた時も、全ての時計が動いていた。気になるような音なら気になったはずである。帰宅して恐る恐る電池を入れてみると、驚くほどささやかな音で時計は時を刻み始めた。
設置するのに三日掛かった。ふさわしい場所を見つけるまでの時間と心の余裕を持つ必要があると考えたためだったが、奇跡的にキッチンからもリビングからも作業スペースからも見える位置に設置出来た。
不思議なもので、大体の時間しか分からない桜の木の時計を眺める時間がたまにある。
※……「大体の時間しか分からない」と表現しましたが、ほとんど正確な時間に合わせてありますし、実際に時間がヤバい時には電波時計に頼っているのです。悪しからず。