10/21 武蔵ホール「2つのV」に寄せて

2024.10.21

 2024年度最後の武蔵ホールになる事が予想される今回は、ヴィブラフォン・東 佳樹氏と、ヴァイオリン・桜田 悟氏と共にお届けします。こんなトリオはほとんど前例がないと思うのですが、如何でしょう。
 演奏曲目は以下の通りです。

Alexej Gerassimez: Piazonore
ゲラシメス: ピアソノーレ [Vib. & Pf.]

Modest Petrovich Mussorgsky: Pictures at an Exhibition (Arr. Mori Ryohei)
ムソルグスキー: 展覧会の絵 (森亮平編) [Vib. & Pf.]

Nikolai Girshevich Kapustin: Sonata for Violin and Piano Op.70
カプースチン: ヴァイオリンソナタ 作品70 [Vn. & Pf.]

Mori Ryohei: Suite for Violin, Vibraphone & Piano
“Dawn or Dusk of winter” 〜Thema of 2V&P〜
“Bird’s-eye”
“Conjunction”
“Positive”
森 亮平: ヴァイオリン、ヴィブラフォンとピアノの為の組曲
「冬の夜明け、あるいは夕暮れ」
「鳥瞰」
「共起」
「ポジティブ」


 ゲラシメスの作品はタイトルからも見えるように、ピアソラ (の、リベルタンゴ) を底本に作曲されています。急 – 緩 – 急という構成で、適度な演奏時間の中で効果的にクライマックスまで持っていくという書き方は流石だなぁと感心するばかりです。
 また、カプースチンのヴァイオリンソナタについては今更何をいわんや。カプースチンの作品の中では何となく地味目な扱いを受けているように見えますが、今回のプログラムに混ぜるにはこれ以上の作品は無い!と断言出来るほど、しっかりポップなクラシック音楽です。
 どちらも「とにかく聴いていただければ分かる」というような楽曲なので、余り解説を長くするのはやめておこうと思います。

 今回の新譜についてはそれぞれ分けて書いてしまいました。例によって文体は変化しますがゴーストライターに書かせたわけではありませんのでご理解ください。どうにも基本的な「ですます調」で自作を書いていると、外国語の文章の翻訳のように見えてきて、内容も妙にそういう方向に寄ってしまうような気がして……。


展覧会の絵

「展覧会の絵」という作品を語るにあたって、個人的には「編曲」という行為は外せない。

 自分は小学生の頃から今に至るまで「編曲モノ」が大好きだ。交響曲をピアノ連弾で、という譜面を連弾する相手も居ないのに買って後悔した事は数知れず。高校生の頃、レッスンの為に東京に来た時には必ずと言っていいほど銀座のヤマハと山野楽器に行って、楽譜とCDを漁ったものだった。
 当時から編曲モノに異常に興味があった為に、件の「展覧会の絵」についても熱心に探した記憶がある。
 そもそも、大抵がムソルグスキーまたはラヴェルの譜面を別の楽器に写しただけの編曲だから、「違う響きで聴こえてくる」という事だけを楽しんでいたのだが、当然の事ながらやがて飽きてしまった。

 編曲と言うと大まかに「元ある曲をオリジナル以外の編成で演奏する為に作り変える編曲」と「原曲の要素を使いながらある程度自由な発想で自由に作り変える編曲」の二つのパターンがあると思う。
 大きな編成の楽曲を少人数で演奏できるようにする、というのが最も多い例だとは思うが、それが前者。この場合、依頼をする側が余計なアイデアを盛り込む事を想定していない場合がほとんどなので「本当に編成を小さくするだけ」の仕事になる事がほとんどだ。もちろんそれはそれで楽しいという事は間違いないのだが。
 私が愛するGRPオールスターズビッグバンドの「WEST SIDE STORY」の版は「自由な編曲」の大成功例だと思う。シチェドリンの素晴らしい「カルメン組曲」も、その内の一つだと言っても良いだろう。(弦楽合奏と大量の打楽器という編成で、めちゃめちゃカッコいいのだ。プレトニョフの盤がイチオシ)
 他にも例を挙げようと思うが、今パッと思いつかない。今後この段落は追加して行こうと思う。

 「展覧会の絵」は、多くの作曲家や演奏家に編曲されている。ラヴェルが最も有名な例である事に疑いの余地はないが、私の大好きなアシュケナージ版がもっと有名になってくれれば良いと思う。
 オーケストラに対して編曲している人も大勢いるし、もちろん小編成向けのアレンジも多い。数えると大体どれくらいあるのだろう。とにかくもう飽和も飽和なのだ。
 私はこれまで企画してきた演奏会のプログラムに「展覧会の絵」を入れようとした事はないし、提案されたとしても突っぱねてきた。本番で実際にやったのは一度だけだ。と言ってもパロディ系の吹奏楽の本番だったし、原型があったとはとても言えないのでつまりそれは編曲ではなく創作だと言えよう。

 ただそのまま音を移し替えて他の編成にするという発想は、「展覧会の絵」については殊更あり得ないと常日頃思っていたのだが、東さんと曲目についてのやり取りをしている時に「展覧会の絵」を東さんが出して来た時には、一瞬の躊躇の後に「これだ」と思った。
 前回の「チック・コリアの会」の時に、ゲイリーバートン氏と小曽根真氏が、クラシックの楽曲をアドリブ交えて演奏しているCDを紹介してもらった。もちろん東さんからだ。

 以降その盤をかなりの頻度で聞いていた事もあり、あんな感じでやるなら、と考えるとアイデアはすぐにまとまり、譜面を作り始めて三日も経たずに完成した。
「殻の付いた雛鳥」と覚えづらい二名分のタイトルが付いた曲、そして「カタコンベ」は縁起が悪いので今回省いた。なるべく原曲の流れと、要所要所の雰囲気は尊重しながらも、もともとムソルグスキーのオリジナルの時点で気になっていた「雰囲気被り」もいっそ払拭してやろうと調 (もちろんアレンジも) を変えた曲も一曲。
 アドリブを交える前提の箇所もあり、割と色んな種類の楽しみ方が出来る状態になっているのではないかと考えている。これこそ「自由な編曲」だと言い張れるセクションも多く、私がちゃんと弾けさえすれば自信作だ。


ヴァイオリン・ヴィブラフォンとピアノの為の組曲

「ピアノ」のスペルが、読みはしない「V」から始まってくれていれば「3V」だったのに……と思う。ただ三つVを並べたかっただけなのだ。

「展覧会の絵」を編曲し終えたそのままの勢いで本作の作曲に突入した。編曲から作曲への移行だったので本当の意味で何を書いても良いと思ってしまった為、「展覧会の絵」のパート譜まで仕上げたその日に思い付いたイ長調の青臭い主題を終曲に起用してある。これが数百年後にどう言われるか分からないが、とんでもなく充実した一週間の中で書き上げられたものである事は間違いない。

 その人が演奏することを想定して書いた譜面を「その人」本人が演奏した時に、あたかも「これが正解だ」言わんばかりに……などというレベルを超えて、「かくあるべきもの」として迷いなく、しかも期待以上に演奏してくれる奏者が私の周りに少なくとも二人……いや、七人は居る。

 最初に思い付いた二人のうちの一人が、桜田氏だ。上京して割とすぐに出会った友達の一人だ。残念ながら現在では彼は所属がある為に、あまり長期の公演ではご一緒出来ていないが、取り敢えず事あるごとに声を掛けて一緒に演奏させてもらっている。
 桜田氏が弾くとなった本番の譜面のヴァイオリンパートを作るのは特に楽しい。「ただの伸ばしの全音符」も遠慮なくバンバン書ける。例えば「譜面自体が手を抜いている」と言われる事はあっても、ただの全音符について「手抜きだ」と言われた事は無い。(多分言い過ぎだとは思う)
 ともすると音数を書き込んでしまう私の性格を知っているかなのか分からないが、「ただの伸ばし」を書いてあっても絶妙に思惑通りの弾き方をしてくれる。半端な編成で歌の伴奏をする時に、ピアノだけにする感じでも無いがあんまり歌の邪魔もして欲しくない、みたいな時の話である。

 そんな仕事の一環で、今回のトリオのメンバーでサポートする機会が二年立て続けにあった。ピアノ・ヴァイオリン・パーカッションという編成である。「なんでこの編成で」なんて思ったりもしたものだったが、東さんはヴィブラフォンを弾くしアドリブも取ると考えると、もしかすると面白いのが書けるんじゃないかと思い始めた頃に今回の演奏会を組んだ。そして、私としては珍しく演奏会の日程から見てかなり早い時期に仕上がったのがこの曲だ。

 作曲家に大事なのは「理解してくれる人」だ。演奏してくれる人はもちろん、聴いてくれる人というのも途轍もなく重要。
まず自分が聴きたい、または演奏したいものを書きたい、
そして誰かに演奏したいと思ってもらえるものを書きたい、
その結果を聴いてもらいたいと言った希求一切を盛り込んだ内容になっていると思う。

 それぞれの副題はそれっぽく付けただけなので、余り気にしないで欲しい。