2025.8.26
気が付けば「生パスタ」なるパスタが氾濫して久しい。
私は断然過激なアルデンテ派なので、気付かないで注文しない限り自らそれを選ぶ事はない。
因みに、平打ち麺もあまり好まない。細い分には構わない。カペリーニは大歓迎だ。多少のリスクがあっても良いのでカペリーニの温製パスタに挑戦して欲しい。
「もちもち感」を得たいなら餅を食べれば良い。もちろん「もちもち」の「もち」が決して「餅」を意識しているのではない、というわけではないではないかという事は分かっている。
「もちもち感」が私に必要な場面を考えてみるが、今のところすぐに例が思い付かない。米粉パンも似たような理由で敬遠している。だったらドイツのほうの酸っぱくて硬い真っ黒いパンの方が楽しめる。
普段からほとんどパンは食べないが、偶にパン屋に行った時に、私が好きなベーコンエピや、ゴロッとしたチーズが入ったフランスパン生地の硬いやつの肩身の狭さを感じる事が多くなった気がする。
実家の近所にあった「ボナペティ」というパン屋の「ハイジのほっぺ」というパンも、と当時は「パンを食べられる」と言う特別感で楽しんでいたものの、今になって私は幼い頃から常に「噛みごたえ」を求めていたことを知った。丸いフランスパン的なやつで、頭頂部に皿のような硬い部分を持つパンは、あれには名前があるのだろうか。
スーパーにもポンデケージョなる「もちもち」の代表格のようなパン?もある。噛む事が推奨されているのではなかったのかと思う。現代人の骨格が、なんて警鐘を鳴らすなら「もちもち」を売りとする商品と同様に歯応えのあるものも並べるべきではないだろうか。
ただし。つきたての餅が与えてくる幸福感には、何物にも代え難い何かを感じる。あれは「もちもち」ではないと思う。だとしたら何なのだろう。