10/09 武蔵ホール「花開く浪漫」に寄せて

2025.10.9

拝啓 夏目漱石先生

「浪漫」とは何だろう。
モンブランは関係ないことは確かだ。

仮に「花開くマロン」だとしても、意味が通ってしまうだろう。
花言葉は「贅沢」「満足」「真心」「豊かな喜び」だそうだ。

あまり栗は好きではない。おおかた美味い栗やその調理法に出会っていないからだと思われるが、なにせ栗味のもので好きなのは、ほうじ茶くらいだ。
銀座みゆき館のモンブランは好きだ。この時点でもう私の栗に対する感情に一貫性がない事が露呈してしまった。
パサつく食感が疑問なのかもしれないがそれこそ調理法なのであろう。

メロンが好きだと思っていたが実のところそうではない事も最近分かって来た。
メロン味のものは論外だが、メロンそのものも、自分の理想とするメロン像に一致する香りと味と食感のバランスを持つ個体に巡り合う事の難しさを知った。

無論、果物は全般的に食べるまでに相当の手順を踏まなければならない事が多い。だからこそ食指が動かないと言う事もあるのであろう。

他にマ行の付く三文字の「ロン」でメジャーなものはないとした上で脱線から脱しようではないか。


 今回の選曲は偶然にも様々な事が繋がった。
最初に決めたのはシューマンであり、そこから安直に「浪漫」と名付けた。これは奥野玄宜さんが以前に「好きな作曲家はシューマン」と仰っていた事に端を発する。それに、ブラームスやシューマン、そしてシューベルトあたりの皆様には遅かれ早かれ触れなければならなくなる時が来ると考えていたのだ。

 ブラームスにも同じことを感じるのだが、第一番の一楽章が一番好きだ。濃い。
 真面目に聞き返せば聞き返すほど、このシューマンのヴァイオリンソナタ第一番は浪漫の塊だと思う。最初からだ。個人的な見方にはなるけれど、これが本当にイ短調の楽曲であると断定されるまでに26小節掛かる。そこまでが序奏というわけではもちろんなく第一主題の提示自体が推移部の始まりに向けての前置きになってしまっている。そこから第二主題に移るがこれも実に曖昧で、平行調の属和音で始まり、結局平行調の主和音の基本形は一度も鳴らされずに終わる。ソナタ形式を学習しようとする生徒には絶対お勧め出来ない。出来ないけど美しいし間違ってはいない。何なんだチクショウ。
 展開部は第一主題と推移部のモチーフで構成される。むしろ展開部の方が今いる調がハッキリ分かるようになっている。しかもヴァイオリンとピアノのテーマの絡み方が付かず離れずで見事だ。やっと一緒になったと思ったらすぐにバラバラになって気づいたら再現部である。
 再現部では明らかに第二主題が同主長調であるイ長調で帰ってくる。しかし、提示部でもやっていたようについぞイ長調の主和音も正規の形で鳴らされることはなく再び調号はイ短調に戻る。散々解決を遅らせたという表現になるのかもしれないが、こんな緊張の持続を含む音楽を四、五日で書き上げた事も恐ろしいし、短期間で書き上げたからこその持続と言えるのかもしれない。
「諸君、脱帽したまえ、天才だ」と言われて然るべき才能だと思う。

 ゴーベールのソナチネは以前から選曲したかったのでフルートとピアノ枠で採用した。全二楽章で、第一楽章が「ファンタジアの如く」と書かれながらもソナタ形式、第二楽章が主題と三つの変奏、そしてコーダ部分(第一楽章の主題が返っているのでここを終楽章的に捉えるのも可能だろう)で構成されている。この第二楽章の1ページ目の左肩に (Hommage à Schumann) と書かれていたのには驚いた。もちろんこの記載も以前から認識していたとはいえ今回の選曲の時点ではすっかり忘れていた為、改めて今回のプログラムの骨組みの強さを感じたのである。

 そして本番日の10/09に因んで作品番号1009の曲を探してみた。我ながらどうしてそんな安直な発想が出るのだろうと思うが、割とこれまでも日付での作品番号検索は行ってきた。
 1009となると、そんなにたくさん書いている著名な方はバッハ以外にはパッと思いつかないのでバッハを調べるとそれは「無伴奏チェロ組曲」の第三番ハ長調だった。もちろんトリオソナタとか、少なくとも鍵盤楽器とソロ楽器のデュオの編成で演奏できるものを求めてはいたものの、「浪漫」と「バッハ」を繋ぐ「ゴドフスキー」が頭の中をすぐさま占領してしまった。
 ゴドフスキーの編曲モノは個人的には編曲史 (そんなものがあるとして) の頂点に君臨していると断言したい。ショパンの練習曲全曲 (作品25-7を除く) の編曲が最も有名だろう。ほとんど全曲 (三曲を除く) の「左手用」の編曲が成されていて、曲によっては様々な編曲が行われている。「黒鍵」や「エオリアンハープ」の編曲群は特に人智を超えた所業だと思うし、それらを演奏できる人達も人間を超越していると思う。
 実は私が「人に見せる文章」としてお願いされて書いたのがこのショパン=ゴドフスキーの練習曲のアムラン版の解説文だった。高校生の時だったが、そのおかげか2枚組でそこそこ高価な、あんなニッチなCDを徳島のような土地で10セットも売ったと聞いている。笑
 また、ゴドフスキーはバッハの無伴奏ヴァイオリンソナタ全てと、チェロ組曲の2・3・5番の編曲も行なっている。パルティータの二番だけでもやってくれていればゴドフスキーの知名度はもっともっと上がっていたのではなかろうか。少なくとも私はそのシャコンヌを見てみたかった。
 これらの無伴奏楽曲の編曲には恐らく本人の手で「非常に自由に翻案・脚色された」と書かれているが、編曲をする者として言わせてもらえばかなり原曲に忠実な編曲だと思う (オシャレ過ぎるところもたくさんある) 。ソナタ一番のフーガを見るとヴァイオリン一挺の時には省略せざるを得なかった声部が見えてくる。その状態に私は「浪漫」を感じずにはいられない。
 もはや他の1009を当たる気にもなれなかったので、間奏曲的にサラバンドを選んだ。

 シューマンは二十歳を迎える年の春に、パガニーニの演奏を聞いて自己の資質を認識する。だからといって取り上げたわけでもないのだが、最後に演奏するパガニーニのカンタービレは、数多あるヴァイオリンの作品の中でトップクラスに好きな楽曲だ。
 ただ、いくら好きとは言え、そこはかとなく足りない部分があるという感覚も持ち続けてきており、この引っ掛かりをどうすれば解消できるのかと考え続けて来た。本当に美味しい店なのに割り箸とおしぼりだけはいつも質が悪く、箸はどんなに頑張っても一度たりとも綺麗に割れたことはなく、おしぼりは最初の一拭きで手の方に繊維が移ってしまう……みたいな感じだ。
 そこでゴドフスキー先生に倣って編曲をしてみたが、わりかしスラスラと書けた。フルートのロマン派期の作品には無駄に技巧をひけらかすような楽曲が多いため今回は避けたが、その代わりにこういう状態にしてみたという副次的なテーマもある。もしかすると当時でもウケたのではないかという出来にはなっていると思うが、どう思われたとしても誰かに何か思わせた時点で私の浪漫がその誰かの心を揺すったと認識する。

 こんなに濃密なプログラムなのだから一曲目はせめて軽くても良いではないかとこじつけたのがキュイである。生年は紛れもなくロマン派と位置付けされて然るべきだし、確かに浪漫を感じる作風ではある。にも関わらずどこか軽薄な (あるいは楽観的な) 印象があるのはもしかすると彼が軍事を本職としていた事があるのかもしれない。そう考えるとキュイが感じた「浪漫」にも愛着が湧いてくるものだ……と書いていたのだが……やはり疑問は疑問だったのだ。この始まり方はある意味洒脱ではあると感じるものの「花開く」とは少し離れるなぁと考えていたところに、奥野さんに弾いていただくソロの曲がシューマンしかない事に気付いた。
 よく考えなくとも、ヴァイオリンの楽曲には「ロマンティックな小品」が数多に存在する。その代表格と断言できる超有名曲を最初に持って来た次第だ。花開き波打ち始める浪漫の前に、しばし瞑想の時間を、という事である。

 そんなプログラムに紛れさせて、敢えて「グラン・トリオ」なんていう古めかしいタイトルの新作を書いてみた。隙間を狙うわけでは決して無いが、この編成で価値のある作品は多くないと思っている。以前書いた同編成のトリオは少しばかり近代的な装いだったが、今回は少しだけ軸足を旧い所に置いた。

 第一楽章がソナタ形式で森作品としては極端に演奏時間が短い。
 第二楽章は、今年最高に気分が落ちたタイミングで書くことになったので、落ちた気分をそのまま反映させようと試みたが、完成してみたらそんな期待とは裏腹にどことなく深刻さを欠く雰囲気を楽章全体が支配することになった。結局それくらいの理由で落ち込んでいたという事なのだ、と自分に言い聞かせている。
 第三楽章はまさに古典的に「ロンド」とした。変奏曲を書くのが昔から好きなので、そういうノリでいけるだろうと思っていたら、いくらでも出てくるものの収め方に少々手こずった。晩夏にフンメルのバスーン協奏曲に集中した時期があり、その終楽章をさらっていた際に感じた事を反面教師とした。その結果ピアノパートが異常に弾きにくい。その辺もフンメルを反面教師にすれば良かったと思う。

 どうだろう、浪漫の萌芽を感じてもらえるだろうか。


演奏曲目

Massenet: Méditation de Thais
マスネ: タイスの瞑想曲

Cui: 5 PETITS DUOS pour Flûte et Violin avec Piano op.56
キュイ: フルートとヴァイオリンとピアノのための五つの小品 作品56

Gaubert: SONATINE quasi Fantasia pour Flute et Piano
ゴーベール: ソナチネ

Bach=Godowsky: Suite No.3 in C Major BWV1009-IV Sarabade
バッハ=ゴドフスキー: 無伴奏チェロ組曲第三番より第四曲 サラバンド

Schumann: SONATE für Violin und Violine op.105
シューマン: ヴァイオリンとピアノの為のソナタ 第一番 作品105

Mori Ryohei: GRAND TRIO
森 亮平: 大トリオ

Paganini=Mori: Cantabile (for Violin, Flute & Piano)
パガニーニ=森: カンタービレ