「ヴァイオリンソナタ変ロ長調」書簡

 大作曲家と言えば、と問われればそれはもちろん「書簡」でございます。

 多くの名作曲家が、(聞かれてもいないのに) 友人やなんかにその時書いている曲の内容や進捗についてのお手紙を送っているのです。それらがまとまっている状態のものを現代の我々が有り難がって「書簡集」などと格式ばった命名の下に崇め奉ります。

 有名どころで言えばモーツァルトの下品なものが挙げられます。……が、作曲家本人の認めた作曲の経緯の詳細を垣間見られるという事は、作曲の背景を知るにはこれ以上にない資料なのです。(決して「楽曲の詳細を把握するには」とは書いていないので、どうぞ誤解なさらず)
 あ、一言付け加え忘れました。「それが嘘だとしても」です。

 そんな書簡に憧れて、いつかそういう事をしてやろうと考えてはや数年。桜田氏とも常日頃こんな話をしていた事もあり、これは好機とばかりに (そんな事する暇があるなら曲を書けよと言われるのも辞さず) 徒然なるままに認めたものを、本曲のプログラムノート代わりに全文公開したいと思います。


ヴァイオリンソナタ書簡 No.1

2023/05/22
拝啓 桜田 悟様 

 私はつい先日まで清水におりました。
ピアノのある練習室を楽屋として与えて頂けたので、公演がない時間は劇場にいる間ずっとピアノに触れられるという、まさに”天国”でした。そこで私は今度の会で演奏するヴァイオリンソナタについて思索を巡らせていたのです。

 こと私は旋律というものに異常なまでの執着がありますので、今回も例に漏れずその旋律との巡り合いを待っておりました。そうした時に私の指が奏でた四つの連続する和音が私の中で何か引っかかったのです。
 言うなれば「和声主題」とでも申しましょうか。下手をすると俗的すぎると言わせてしまうかもしれませんが、私はこの愛おしい主題を今回の創作の要にしようと決めました。
 その和音主題に、それだけでは意味を為しづらい線対称的な旋律を乗せて私の作曲は始まりましたが、現在は第二主題への足掛かりを模索中です。

 第一楽章はそう大きな楽章にはしないつもりです。最終楽章にあたる部分には、少々勇壮な主題を既に用意してあります。
 桜田氏の期待に添えるような楽曲になるかどうか不安ですが、ピースさえ嵌ってくれれば一挙に進む音楽だと信じておリます。私が三日後に博多に発つまでにある程度のところまで書き上げられるようどうかお祈りください。

 ただ一つ謝らなければならないのは、今回のソナタは変ロ長調になってしまいます!あぁ!主はこれを許してくださるでしょうか!

追伸: 明日の合わせには当然ながら譜面は間に合わないでしょう!私がこれを明日までに書き上げる可能性があるとしたら、それは貴方の御子息が明日成人を迎える可能性よりも低いのです。
 明日は素晴らしい英国の香りに溺れる日になりそうですね。

船橋にて
森 亮平


ヴァイオリンソナタ書簡 No.2

2023/05/23
サクラダ・ファミリア様

 今日が貴殿の誕生日だという事を失念していた事、一生の不覚です。
しかし、本日の合わせは大変充実したものだったと自覚しています。来たる本番への期待感が高まるばかりです。

 さて、ヴァイオリンソナタの進捗に関してですが、着実に完成へと近づいています。しかし、明日中に完成させるのは困難を極めるでしょう。
 本日拙作の「ちょっとした変奏曲」を演奏していただいて改めて、今の私が書く変奏曲というものを提示したくなりました。もしかすると最終楽章は変奏曲のスタイルを用いたものになるかもしれません。

ご自愛専一にて。船橋より
森 亮平


ヴァイオリンソナタ書簡 No.3

2023/05/24
桜田 悟様

 34歳の二日目を如何お過ごしですか。私よりも年上の方にこのような送り方をしてしまっている事につきまして、心よりお詫び申し上げます。

 良い報せとあまり良くない報せがあります。まず、ソナタの第一楽章が完成しました。さらに、第二楽章の構想が立ち上がりました。
 良くない報せは、それらの出来やアイデアにあまり自信が無いということです。

 今回、第一楽章は空間的な様相の中に表情のある第二主題が不意に顔を出し、さらに空間的で旋法的な展開部を経た結果、最終的には俗的な雰囲気の中に響きが沈んでいくという構造です。桜田氏と演奏すれば何とか形になると思って書いているものではありますが、我々のいつも話す「譜面の雄弁さ」については欠いていると言わざるを得ない見た目です。
 第一楽章のヴァイオリンの譜面を添付しますので、どうぞご査収ください。

 第二楽章は、モダンなクライスラーのような比較的親しみ易いものを目指しています。残りの楽章は月末になるか、または完成しないでしょう。今回のプログラムと並べるには第一楽章だけでも良いのかもしれないと思い始めてもいます。

船橋在住
森 亮平


ヴァイオリンソナタ書簡 No.4

2023/05/29
雷門 悟卿様

 博多から帰って参りました。向こうにいる間、片時もヴァイオリンソナタの事を忘れた事は無かったと言えば嘘になります。
 本番は全身全霊で行い、その前後の隙間の時間にある程度博多を楽しんだ事を聖ミカエルは許してくださるでしょうか。

 しかし、題材を集めていなかったわけではありません。博多は実に魅力的な街でした。
 二つのアイデアが新たにあります。緩徐楽章の事を考えていた時に、今書いている最中の第二楽章の主題冒頭が、以前書いたものと似通っていた事に気付いたのです。昨年末に書いた物、一緒に演奏しましたが覚えておられるでしょうか?ある俳優の演奏会で、一幕と二幕の休憩中に作曲をするいう趣向で二曲書きましたよね。
 そのうちの一つは特にそのままにしておくのが惜しいような出来で、あの感動がまた得られるならば、と今回のソナタに組み込む事に決めました。もちろんそのままではありません。必要な処理や加筆はもちろん行なうつもりです。

 それに、先ほどまで私は第二楽章の大詰めに掛かっていたのですが、主題一つで大変こじんまりとしながらもディオニュソス的な側面を持つ楽章に仕上がりそうです。
 もう寝ます。神のご加護があらん事を。

船橋にて
森 亮平


ヴァイオリンソナタ書簡 No.5

2023/05/30
櫻田 悟様

 少しばかり体調が思わしくなかったのですが、このような時こそ作曲に精が出るものと思い、起きた勢いで第二楽章を仕上げました。
 その後もう座ってもいられなくなり、取り敢えず演奏会の演目の練習は行わねばとピアノに向き合い、数時間。ウォルトンやフィンジの和声が朦朧とした頭に響き渡り、普段とは全く異なる角度で楽曲を見渡すことができました。

 本日中に第三楽章はある程度仕上げておかないと本番の日までに全曲が完成する事など、無いのです。

船橋より送信
森 亮平


ヴァイオリンソナタ書簡 No.6

2023/05/31
桜田 悟様

 明日の合わせを控えて、ヴァイオリンソナタについてのお手紙はこれが最後となる事でしょう。と言っても、日付を超えましたので、明日の合わせは今日の合わせと言い換える事が出来ましょう。
 昨日、と言っても日付を超えましたので厳密に言えば一昨日ですが、思わしくなかった体調は今朝起きてから回復の一途を辿り、まず私は第三楽章を仕上げました。これについてはもともと完成形が確実なものとして見え過ぎていた為、完成しても「あぁ、出来たな」といったところでした。

 その後ピアノの練習を少々行い、いよいよ最終楽章に取り掛かり、数日前に私が放った「変奏曲にするかもしれない」という言葉はどこへやら、いざ完成してみると何の事はないロンド形式の楽章になったというわけです。

 このヴァイオリンソナタを書く際に、全体の印象を極端に長いものであったり、大仰なものにはしたくはなく、得意の大展開部は避けようとして参りましたので、あまり調子に乗るわけにもいかなかった反面、書きたい衝動は抑えられずに書いた結果、とても本番前日にお渡しする分量ではない譜面となってしまいました。と言っても、日付を超えているとは言えまだ私は寝ていないので、本番二日前という表現も出来ましょう。

 明日の合わせで全楽章を本番に掛けるかどうかを決める事に致しましょう。

船橋 夜中の3時半am
森 亮平


 毎晩のようにこんな事してる暇があったならその時間も曲を書けば良かったんじゃないのか。

「ザ・ミュージック・マン」所感

 終わってしまいました。ザ・ミュージック・マン。

 誰かが舞台上で亡くなる (またはその直前の状態まで「物理的に」傷付けられたり、一旦亡くなる事を示唆したりする) ような作品にしか関わってこなかった自分としては、心から待ち望んでいた完全ハッピー終止の演目は大変嬉しく、また作品 (音楽) としてもトラディショナルなスタイルを貫いているので、大変興味深く関わらせて頂きました。

 大千穐楽直前に話していて気付いた事なのですが、この演目、明らかなる短調のナンバーが一曲も無い。
 短調の印象を与えるような状態でマイナーコードが鳴らされる事も無ければ、ハロルドが逮捕されるみたいなシリアスになりかねないシーンですらマイナーコードは使われない。あるとしたら和声の機能上そこを通過するだけの時くらいのもの。(あくまで個人の意見ですよ)

 作品自体が極めてハッピーな状態の連続で構成されていたのだと気付くと、作品自体の持つ基本的な陽のエネルギーと、66年間ほとんどそのままの形で残されている編曲の普遍性が殊更愛おしく感じてしまい、終わらなきゃいいのになぁと心から思える作品でした。あんなに大千穐楽の回で一曲毎に「終わってしまった……」と思うことも稀なのです。

 また再演やらないかしら。

 久しぶりにエッセイと名乗って良い分量なのでは?と思いましたが、ちょい短いかもしれませんな。

フルート五重奏曲

 何かの楽器を接頭語に持つ五重奏曲と言うと、私の中ではシューベルトの「鱒」がまず最初に出てきます。ピアノ五重奏曲で、普通の「ピアノ五重奏」と呼ばれる編成が一般的に「ピアノ+弦楽四重奏」であるのに対し、「ピアノ+ヴァイオリン+ヴィオラ+チェロ+コントラバス」という編成なのです。

 基本的に14の五重奏の場合、4は弦楽四重奏になるというのは、太陽が地球の周りを回っている事と同じくらい一般的です。
 しかし、シューベルトは敢えてそうはせず、低音を拡張した代わりにある一定の確率された響きを手放したにも関わらず、この上なく瑞々しく魅力的な傑作を書き上げたのです。

 そんな五重奏を書いてみたいなぁと思い続けて、はや四半世紀。ピアノ五重奏に着手するより前に、シューベルトの編成の応用を試す機会が巡ってきたではありませんか。
 という事で、フルート、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスという五重奏です。

 そもそも弦楽四重奏という確固たる編成を捨てているので (次はフルート+弦楽四重奏+コントラバスの「フルート六重奏曲」にしようと心に決めるくらい、決して書き易いとは言えませんでした)、特にチェロパートが普段よりも多様な役割を担う事になり、それに順じてヴィオラやヴァイオリンも順当に担う役目が増えることになりました。
 コントラバスにもある程度ソリスティックな瞬間は書きたいですし、結果的に各楽器の負担は一律に増えた、という事になるのでしょう。しかし、実際に奏者の皆様に譜面から音を立ち上げて頂いたのを聴いて、この試みが決して誤りではなかったと確信を持てたのです。

・第一楽章。ソナタ形式。

・第二楽章の副主題は私が小学生の頃に思い付いた旋律です。同級生がファンタジーものの創作をしようとしていると聞いて、そのプロットを聞かせてもらった私は「それの音楽を俺にやらせてくれ」と勝手に何曲か書いたっきり(多分誰にも聞かせてない)、彼女の創作はその後全く進展する事なく有耶無耶になりました。その時に書いたメロディ二つは何故か忘れないまま取ってあり、そのうちの一つです。

2023/05/08 武蔵ホール プログラムノート

 ご無沙汰しております。新年度一発目の配信コンサートは、ガチ感のある演奏会の様相です。前回の「仲良くなりたい人との演奏会」で安藤さんと約束したとおり、クラリネット×ピアノ×「何か」というトリオの楽曲を軸に構成致します。

 チェロの細井唯さんと一緒に、ロベルト・カーン作曲のトリオ 作品45
 ヴァイオリンの迫田圭さんとは、バルトーク・ベラ作曲の「コントラスツ」を取り上げ、それぞれの方にそれぞれトリオで取り上げる作曲家のデュオ曲を演奏して頂きます。
 セットリストは以下の通りです。

ロベルト・カーン: 三つの小品 作品25  [Vc. Pf.]
I. Romanze.
II. Serenata.
III. Capriccio

ロベルト・カーン: トリオ 作品45  [Cl. Vc. Pf.]
I. Allegro.
II. Allegretto quasi Andantino.
III. Presto

シャルル・シェイヌ: ヴァイオリンとピアノの為のソナタ  [Vn. Pf.]
I. Risoluto
II. Lento_Molto sostenuto
III. Allegro Giocoso

バルトーク・ベーラ: ルーマニア民族舞曲 (セーケイ・ゾルターン編)  [Vn. Pf.]

バルトーク・ベーラ: コントラスツ  [Cl. Vn. Pf.]
I. Moderato, ben ritmato,
II. Lento,
III. Allegro vivace,

 

 声楽曲と室内楽(主に弦楽器)の作品を多く遺したロベルト・カーン。
晩年に「退廃音楽」としてナチス政権により演奏を禁じられてしまった為に、しばらく忘れられていたそうなのですが、近年再興の兆しが見えてきています。

 このロベルト・カーン、リヒャルト・シュトラウスと活躍年代が同じなのですが、作風は実に堅牢です。ブラームスからも高く評価されていたそうですし、今回演奏するチェロの為の「三つの小品 」は割とシューマン的であったりと、かなり保守的な……と言えば聞こえは悪いですが、極めて真面目に自らの趣味を貫いた作曲家と言えるでしょう。
 教育者としても有能で、ルービンシュタインやケンプといった名だたる奏者を輩出しています。「浜辺の歌」の作曲家、成田為三のドイツ時代の師匠でもあります。
 そんなロベルト・カーンを、真面目クラシック枠として設定致しました。

 

 シャルル・シェイヌという作曲家をご存知の方はどれくらいいらっしゃるでしょうか。トランペットを吹かれる方々にとっては、なにせトランペット協奏曲が有名ですので、ある程度認知はされているのでは?と思います。
 他の楽器の方で、シェイヌと言ってピンと来る方に私は未だ会った事がありません。(私、敢えて「シェイヌ」と書いてありますが「シェーヌ」と表記される事もあるようです。赤塚不二夫先生の顔が一瞬よぎるものですから、私は「シェイヌ」一択です)

 私は幸いな事に、上京して比較的すぐのタイミングで、この「シェイヌ」という作曲家に出会う事ができました。もちろんトランペット協奏曲の伴奏でした。ナンセンスに片足を突っ込みかけているようなリズムと、エグいのに妙に抜け感のある和声、迸りまくるエネルギー、多少投げやり過ぎるのでは?と思ってしまうような大胆な筆致、どれを取っても当時の私の心を掴んで離さなかったものです。シェイヌ、デザンクロ、ジョリヴェといったその辺の作曲家は、個人的には同じ括りで今でも大変気に入っております。

 当時、今回ご一緒する迫田圭氏と毎晩のように集まって、図書館で借りて来たヴァイオリンとピアノの為のデュオ作品を片っ端から初見で演奏するという、いわゆる「初見大会」を行なっていました。面白い曲や隠れた名作に出会えればいいなという思いでやっていた (のだと思う) 為に、当然シェイヌと出会ったその日に「シェイヌのヴァイオリン曲は無いものか」と探してみたらアッサリ学校の図書館にあり、初めて弾いた時から我々の爆笑を掻っ攫い、折に触れて取り上げたものでした。
 折に触れて取り上げたと言っても、たまに「アレ弾こうぜ」なんて引っ張り出して来たり、私のピアノ副科の試験で (室内楽も許可されていたので) ろくに練習もせずに披露したというような体たらくで (その試験の点数は大層良かった)、ちゃんとした本番で弾いた事は結局なかったんじゃないか、というレベルです。全曲取り上げるのは今回が初めてになす。二楽章に関しては、当時一度も音を鳴らしていないんじゃないか、というくらい記憶がなく、特に三楽章に盲目的に病みつきになっていたのです。

 

 バルトーク・ベーラの最も有名な作品と言えば、恐らく「ルーマニア民族舞曲」でしょう。元々はピアノ独奏曲ですが、セーケイ・ゾルターン編曲のヴァイオリンとピアノのデュオ版でお届け致します。タイトルではどんな曲か分からなくとも、聴けば「何ということでしょう」となる方も多いのではないでしょうか。

シメにはコントラスツ。「スウィングの王様」ベニー・グッドマンの依頼で作曲され、彼によって初演もされたこの曲。民族音楽の研究にも力を入れていたバルトークの作風を様々な側面から見られる楽曲です。

フルート四重奏曲

 純粋な器楽曲を追求するならピアノソナタと弦楽四重奏が外せないというのは暗黙の了解のようになっている。ベートーヴェンがその好例だが、ピアノソナタ、弦楽四重奏と書き進めていき、最終的に交響曲を手掛けるというのが自然な流れだという事を否定する気は毛頭無い。

 個人的にピアノソナタを書く気はまだ起こらない (起こりそうな気配は近頃感じている)。
 弦楽四重奏曲も過去のある一時期に書こうとした事はあったものの、色々あって一旦その熱意は失われた。しかし、ヴァイオリン弾きの粟津 惇さんとの出逢い以降、沸々とその意欲が再燃してきているのを感じる。

 今回のフルート四重奏曲は現在、未完成の状態であるという事は断っておく。

 フルート四重奏の回が決まってすぐくらいの時。「早起きをして作曲をするという事を習慣に出来れば何と素敵なんだろう」と思い立ち、慣れない早起きをした事が数日あった。
 その一日目にピアノに向かった際に思い付いたのが第三楽章の主題で、その日出掛けるまでの間に楽章の半分以上を書いた事は記憶に新しい。

 二日目の朝は起きる気がしなかったのだが、ふとフルート四重奏曲に意識が向いてしまった時に (起きて書かなきゃなぁ……と思った時に) 主題の冒頭三音を思い付いた。これくらいなら多少二度寝をしても覚えているだろうと思おうとしたが、せっかくだと思い立ち、布団から辛うじて抜け出して作曲を始めた。

 割と順調な滑り出しを見せた作曲だったが、いつまで経っても前後の楽章に見合う中間楽章が出てこない。余裕を持って書き始めたが、色々と他の仕事に着手せざるを得なくなる。後手に回り始めた所で、思い付かないなら取り敢えず第二楽章は諦めて、今回は第一楽章だけの披露にしようと思い立った。
 それなのに、第一楽章が仕上がったのが遅かったにも関わらず、その勢いで第三楽章も仕上げてしまったのだ。そこで振り返ってみても、やはり両端楽章に見合うような第二楽章が思い付かない。かくして、現状で未完なのだ。
 (奏者の皆々様方にも多大なるご迷惑をお掛けした事を猛省しております。来年の目標は『書けてから企画する』に設定しました。)

 

 ここからがいわゆるプログラムノートにあたるので、語調も切り替えていきましょう。

 ヴァイオリンの粟津 惇さんの音を想起すると、何となく高貴な印象を受ける事が多いです。
「高貴」と言えばエルガー。彼ほど「ロイヤリティー」という単語が合う作曲家はそうそう居ないでしょう。

 クラシックを聴く人で、エルガーの作曲した「威風堂々」を知らない方は珍しいと思います。しかしそれが全部で五曲からなる行進曲集である事をご存知の方はどれくらい居るでしょうか。(こんなふうに偉そうに書きながら、他の「二番、三番、五番」についてはまだ主題を覚える程触れてはいません。悪しからず。)
 恐らく最も一般的なのが「第一番ニ長調」でしょう。個人的にはこちらよりも「第四番ト長調」の方が好きです。何より高貴さという面では明らかにこちらだと思います。トリオに於けるフルートの使い方には度肝を抜かれたものです。

 第三楽章はそんな「威風堂々第四番」の要素を少々拝借する形と相成りました。やはり書くからには気に入って頂きたいという下心のようなものもございますし、星野源さんも御用達の五音音階をベースに書いた第三楽章に、日本人としては同じ島国である英国出身・エルガーのモチーフはぶつかる事なく、上手い具合にまとまってくれたと思っております。

 第一楽章は、フルート四重奏という決して大きいとは言えない編成に対して、なるべくスケールの大きな音楽を書こうとしました。同時期に手掛けたという理由だけでは片付けられませんが、10/31のハロウィンコンサートで演奏した私のフルートソナタと、兄弟のような位置付けの作品となっております。

 合わせに立ち会わせて頂いた際に、「自分は恵まれている」と改めて感じる程に愛情を持ってこの曲に接してくださった皆々様に心からの敬意を込めて。

メリー・ウィドウが好き

 もう「好き」なんて表現では足りない。恥ずかしながらマトモに聴いたのは、当時それ以上ないと断言できるほどに急な仕事として作品のほとんど全曲を編曲しなくてはならなくなった時でした。
 どこを取っても美しい瞬間のオンパレード。魅力的なメロディに鮮やかなオーケストレーション。Nr.11が、カミーユとヴァランシエンヌ (ヴァランシエンヌは人妻。もちろんカミーユの、ではない) の密会のシーンの二重唱。これに私の魂は芯から射抜かれてしまった。恥ずかしながら「素晴らしく美しい」以外の語彙が出て来ない。

 また、ダニロ及びハンナの心情が吐露される音楽的瞬間が同パターンで二回ある。このチェロソロから始まる数秒で、もうお互いが相手への恋心を抑えられないという事を客席に伝えてしまう。
 観てれば分かる。なんならダニロの方は登場した瞬間に分かる。その上、ご丁寧に音楽でも説明されるのにも関わらずまだウジウジ言っているダニロに対するもどかしさ。
 そして根底にこの作品がオペレッタであるという前提から「彼にとって悪い結果が待ち受けているわけがない」というのが分かっている事の心地良さが相まった事が、この作品が大ヒットした要因なのではないかと思うほどに私のメリー・ウィドウに対する想いは拗れている。
 ストーリーも分かりやすく、ほとんど飽きる事なくサラッと観られてしまうというのも魅力のうちだろう。

 

 そしてこの度、満を辞してフルートを独奏とする「メリーウィドウファンタジー」を書くに至った。

 まずフルートに対するオペラファンタジーが多過ぎるという事へのツッコミは今は置いておく。
 日本国内で「メリーウィドウ」という作品が、若年層にも割と浸透している要因の一つとして「メリーウィドウセレクション」という素晴らしい吹奏楽の為の作品の功績は大きいだろう。そのせいおかげで「メリーウィドウと言えば『ヴィリアの歌』だよね!」みたいな風潮が出来ている事について私はどうしてもいただけない。いただくわけにはいかない。

 もうこの際自説を乱暴に振りかざさせて頂こう。当オペレッタ中の「ヴィリアの歌」の周辺は個人的には中弛みでしかないと思っている。確かに良い曲だし、この曲が存在する意義は大いに分かるというのを踏まえた上で、周りの他の曲と比べた時にどうにも劣るという感想を私は持っている。

 きっと、貴方が全曲を聴き通した時(または観通した時)、最後に印象に残っているシーンは恐らく「ヴィリアの歌」ではないはずだ。9割方、、9.5割方がそうだと思う。こんな言い方をするのも、別に「ヴィリアの歌」が一番好きだという人の事を否定するつもりは毛頭ないからだ。もし「ヴィリアの歌」がメリーウィドウの曲中で一番好きだという友達が居たとして、その人とも私は大いに盛り上がる事が出来るからである。(今の所そんな人が居ないのは私に友達が居ないからである)
 実際に私は「ヴィリアの歌」のおかげで「口マンドリン(くちマンドリンと読みます)」を習得するに至った。これは人様の前で披露できるような代物ではないということは予め断っておく。

 不愉快なのは、メリーウィドウをよく知りもしないくせに、吹奏楽の為に書かれたものだけを聴いて「ヴィリアの歌云々」という輩だ。
 なので、今回は「ヴィリアの歌」は見えるような形で使わないと心に決めていた。万一使ったとしてもフレーズを織り込む程度にすると初めから決心していたのだ。使わなくとも十分に書けてしまうし、多分「メリーウィドウファンタジー2」や「メリーウィドウファンタジー3」に着手したとしてもまだヴィリアは起用する事なく書けるだろう。結局一度も「やっぱりヴィリア使わないとなぁ」と思わないまま今回のファンタジーは完成した。
 多分「メリーウィドウファンタジー・タクティクスアドバンス」くらいまでいくとようやく「ヴィリアの起用も止むなし」となってくるのであろう。

 悔しいのは、もう「これからドタバタが始まりますよ!」の典型みたいなオープニングを使わずに書けなかった事である。これについても凄く考えたのだが、メリーウィドウの名を冠する作品で、あれ以上にオープニング感のある始まり方をするのは土台無理な話だったのだ。

 そんなメリーウィドウファンタジー、このリンクから飛ぶことが可能です。この段落自体がリンクとなっております。リンク先の「もっと見る」を押下して頂ければその曲へのジャンプが可能です。今後、フルートとピアノ一台の為の一般的なヴァージョンと、フルートと一台四手伴奏とのヴァージョンに加え、オーケストラバックのものも二種類(メリーウィドウの元の編成を護ったものと、二管編成程度で演奏できるもの)用意して行くつもりです。

 また、メリーウィドウ本編につきましても、ほとんど全曲分のピアノ五重奏版 (日本語詞入り) がございます。「メリーウィドウを今度やる予定があって、流石にフルオーケストラは入れられないけどピアノだけで弾くよりもある程度それっぽさを出したいワ☆」という団体様がおられましたら譜面は喜んで提供させて頂きます。何なら弾きに行きたいとまでは言いませぬ。決して言いますまい。

 

 結局何が言いたいかと言うと、これをきっかけにメリーウィドウ の本編に触れてくれる人がいいな、と心から願っているということだ。個人的にはウィーンフィルとガーディナーの盤がオススメだ。この文章一帯がリンクになっており、頭で紹介したNr.11の二重唱はプレイリストの16番目にある。

 編曲をする事が決して少なくない立場の人間からすると、編曲モノを楽しむ為には元の形をある程度把握しておく必要があると思う。但し、逆のアプローチで原曲を聴くという事もあって良い。私は「春の祭典」はファジル・サイのピアノ版 (一人で自動演奏機能をふんだんに用いるという狂気の盤) から入った。そのせいか、あまりエッジの効いていない演奏に食指は動かない。

「涙の乗車券」はカーペンターズから入った。これがビートルズの曲だと知ったのは恥ずかしながらごく最近である。結局私の中でビートルズはカーペンターズのような好印象をもたらさなかった。
 随分前に書いた「小学校五年生の時の担任の先生だった『津田先生』」は、私が当時「ビートルズがあまり分かりません。やっぱりカーペンターズが好きです」と言った時に「そうか。でも先生もカーペンターズ好きやぞ」と返してくれた。これ後々の私の考え方に地味に大きな影響を与えていると思う。
 今思えば津田先生はロックど真ん中の人だったように思う。今でも活動されているかは分からないが、頂いた年賀状には「美女と和牛」というバンドを組んでいる、とあった。とんでもないセンスだ。嫉妬を通り越して尊敬してしまう。私が死ぬまでにもう一度会っておき
たい人トップ2の一人だ。音楽をジャンルではなく、音楽そのものとして捉えているんだろうなぁと思う。どうして教員をやっていたんだろう。機会があれば酒でもエスプレッソでも酌み交わしてみたいものだ。お酒が飲めなかったとしても私は甘味もイケる口なので問題はないはずだ。

 また脱線しているが、つまるところ音楽を聴いて持った感想に正解なんてないし、それぞれがそれぞれの正解を持つという意味で、間違いもあり得ない。
「みんなが良いと言っているから良いものに違いない」という考え方は、実は私自身が陥りやすい考え方なのだが、多分そういう事ではない。

 兎にも角にも「メリーウィドウを聴け!」と締めさせて頂くことに致しましょう。

 私の携帯は、昔「額田部王女(ぬかたべのひめみこ)」と打ちすぎたせいで「糠」が一発で出ないのです。

 生まれて初めて「糠」と打とうとして気付きました。筍が美味しい季節ですね。

 これだけでもエッセイと言ってよいのだろうか。

 

追記……このエッセイの「可読性」は良いと出ております。

連続した文章: バラエティーに富んだ文章です。Good Job!
小見出し分布: 小見出しは使用していませんが、テキストは十分に短く、おそらく必要ありません。
段落の長さ: 長すぎる段落はありません。Good Job!
文の長さ: いい感じです!

↑……だそうです。

オーヴァーチュアの呪縛

 間も無く海宝さんの大阪公演です。なにぶん延期が続いたものですから随分長期間に渡ってやっているような気が致します。が、泣いても笑っても次が最後。
 軽はずみにも「次の大阪公演ではオーヴァーチュアを変えます」なんて発言をしてしまったものだから (と言っても元々書き換えるつもりだったのですが)、実際に今度演奏するものは新譜面。何の曲が入っているか知りたい!という言葉を頂くことが結構多かったので、今回は演奏前に使用曲一覧を出しておこうと思います。
 書き換えるに当たって、何かしら良くしないと書き換える意味がありません。そこで、今回は「演奏効果の引き上げ」と「ある程度分かりやすくする」という二つのコンセプトを設けて新たに作り直しました。結果的に使用フレーズは24と少し抑え気味ですが、かなり視界は明るくなったのではないかと思っております。

 

1.アラジン「自慢の息子」

2.ディズニー オープニングロゴのフレーズ

3.美女と野獣「愛せぬならば」

4.ピノキオ「星に願いを」の前奏 (本編よりも好き)

5.美女と野獣「間奏曲」

6.マイ・フェア・レディ「踊り明かそう」の間奏部

7.アリージャンス「行かなきゃ」

8.シスターアクト「Do The Sacred Massご存知ですか?笑

9.ジーザス・クライスト・スーパースター 「彼らの心は天国に」のリフ

10.ラヴ・ネヴァー・ダイズ コニー・アイランド・ワルツ

11.オペラ座の怪人 「怖いわファントムの気配よ」

12.ミス・サイゴン 冒頭

13.ラヴ・ネヴァー・ダイズ「美の真実」グスタフの歌う「全部見られますか」

14.ラヴ・ネヴァー・ダイズ マダム・ジリー激昂の音

15.エビータ「アルゼンチンよ泣かないで」

16.ピノキオ「星に願いを」

17.ラヴ・ネヴァー・ダイズ グスタフが弾いたピアノ

18.オペラ座の怪人 マスカレード (※ボレロの手法で)

19.南部の唄「ジッパ・ディー・ドゥー・ダー」

20.美女と野獣「美女と野獣」

21.アラジン「ホール・ニュー・ワールド」

22.レ・ミゼラブル プリュメ街冒頭

23.ジーザス・クライスト・スーパースター 前奏曲のクライマックス

24.ミス・サイゴン「神よ何故」の間奏

 

 どうしてもジーザスの使いやすさとラヴ・ネヴァー・ダイズ への愛は隠しきれませんでしたが、兎にも角にも、是非ブロードウェイ版の「Sister Act」をチェックしていただくのと、アリージャンスの存在をお忘れになる事の無きよう。。

 次もしこういう演奏会があったら今度は全く新しい発想で書くつもりです。一度書いたモノから逃れるのは本当に難しい、と言う意味で「呪縛」と名付けさせて頂きました。

好きな作曲家

 そんな事言い出したらキリがない。
自分はよく他人に聞くくせに、いざ自分が聞かれると異様に困るものだ。

 苦し紛れに「ララフマニノフです」とか言うので多くの人に誤解を与えていると思うが、その言葉が出るまでには以下のような葛藤がある。

『好きな作曲家か、、誰にしようかな。
 ベートーヴェンとかモーツァルトとかはもう好きとかいうレベルじゃないし、バッハと言ってもそれで万一話が膨らんでしまった場合ちょい困る。
 シューベルトは作品を本当に選ぶし軽はずみにシューベルトなんて出したらドイツリート好きだと勘違いされかねないし、シューマンは「献呈」は大好きだけど交響曲ではバーンスタインの演奏以外で好きだと思える事が少ないし、ブラームス、、、……メンデルスゾーン、、と言うのもなんかなぁ。。ドヴォルザークもちょっと当たり外れがあるし……。。

 チャイコフスキーは間違いなく好きだけど、わざわざ言うのもなんか恥ずかしいし、グラズノフと言ってもピンと来ないかもしれないし、ドビュッシーをここで出すのも違うし、デュカスも交響曲の話題しか広げたくないし、ストラヴィンスキーの初期ですと言った所で春の祭典と火の鳥の1910年版しか好きじゃないし、、シェーンベルク……グレの歌??なんか通ぶってない??やっぱ調性好きなんだね(笑)とか言われそうだし……ヒンデミット、、オネゲル、、、イベール、、、、違うなぁ……

 レハールと答えてただのオペレッタ好きだと思われるのもシャクだし「メリーウィドウ」の話題で振り落としてしまいそうだし、マーラーと言おうにも巨人ファンなので (当然交響曲第一番のこと) その後話が展開してしまったら面倒だし、プーランクやフランセと言うと「よく管楽器の伴奏やってるんですか」みたいな流れになりそうで嫌だし、デュティューなんて引っ張りだしたらその後の流れが未知数になってしまう。

 ポップな方に寄せてアダムスなんて答えよう日には俺と言う人間が誤解されかねないし、当然コリリアーノも同様。ガーシュウインなんて言ったら「やっぱりミュージカルの人だから」とか言われそうだし、アンダーソンを出しても多分「トランペット吹きの休日&子守唄」と「舞踏会の美女」と「シンコペーティッドクロック」と「そり滑り」と「ワルツィングキャット」くらいしか知らないんだろうし、バーンスタインと言うのも違うし、カプースチンなんて言ったらどう思われるか分からない。

 いっそジョン・ウィリアムズとか言ってやろうか。スターウォーズ以外の話題で盛り上がれるならそれでも良いけど多分無理そう。「ホームアローン」の音楽がジョンの作品の作品だという事をどれくらいの人が知っているだろう。ハワード・ショアやダニー・エルフマンを出してもいいが、彼らは活動が多岐に渡り過ぎていて地雷なのである。
 もちろんアンドリュー・ロイド・ウェバーを忘れては居ないが「死ぬまでに一度グスタフをやりたいんです」なんて口が裂けても言えない。「ミス・サイゴン」の時のクロード・ミシェル・シェーンベルクももう尊敬して止まないが、角が立つような表現しか出来なさそうだ。

 邦人を出すか?矢代秋雄の交響曲とか、別宮貞雄のヴァイオリン協奏曲も好きだ。私の師匠、鈴木輝昭も外せないし、邦人と言い出したら久石譲とかも候補に入って来るのでそれはそれで難しい。
 自分も邦人だけど、当然「森亮平です」なんて口が裂けても言えないし

 リヒャルト・シュトラウスと言ってみようか。個人的にツァラトゥストラは推しなんだよなぁヴァイオリンソナタも大好きだし、ただ、、、オペラの方向に話が傾いたら面倒臭い。

 やっぱりラフマニノフかなぁピアノ協奏曲2.3番と交響曲2番の話題で行けるし、パガニーニの主題による狂詩曲もあるし、いざとなったら「死の島」とピアノ協奏曲第5番 (他人の手による交響曲第2番のピアノ協奏曲版。あまり好きというわけでもない) の話題を熱く語れば向こうも折れるだろう!!!』

「ララフマニノフです///

 

そう答えると割と高確率で言われるのが以下の台詞だ。

「意外と普通だった!!」

 

…ならば聞かせて頂きましょう。普通じゃない異常な答えを。笑

「森 亮平を聴け!」第一弾プログラムノート

2022221日の武蔵ホール配信コンサートのプログラムノートです。ヴァイオリンに粟津惇さん、チェロに中西哲人さんをお呼びして、私の作品を中心にプログラムを構成しました。興味のある方は動画(←リンクです)と併せてどうぞ。

 

  亮平 私は腹の痛みを持っている (直訳)
Ryohei Mori : J’ai mal à l’estomac

 オペラを観た作曲家が、帰宅後に覚えている主題でファンタジーを書くなんて事はよくあります。ミュージカルを振った作曲家が公演終了後に覚えている (気に入っている) モチーフを使って曲を書いても良いではありませんか。とやかく言われるのが嫌で詳細は書きませんが、副題として「ちよっとした引用を含むフランス風小品」と付けてある通りの作品です。
 割とフランス風が上手くいった気がしており、個人的には大変満足です。


ニコライ・カプースチン ピアノ三重奏の為のアレグロ
Nikolai Kapustin : Allegro for Piano Trio opus 155

 室内楽曲が親しまれている作曲家ほど、オーケストラの曲を見るべきだと思います。もちろん「有れば」の話ですが。この演奏会でも折に触れて取り上げているフランセや、プーランクは特にオーケストラ曲を見ると大変楽しいのです。
 ピアノ独奏にあまり興味が持てない私でも、カプースチンのピアノソロ曲に食指が動いた時期がありました。が、どこで見たのか聞いたのか分かりませんが「私の作品はジャズではなくクラシックだ」と言うような内容の発言をなさったと知ってから一気に興味が薄れてしまい、最近では敢えて聴こうと思うのは「アルトサクソフォンとオーケストラの為の協奏曲」くらいです。カプースチンの昔のオケ (というよりビックバンド) 曲とか凄く好きだったのですが。。(今でも聴けるか分かりませんが、昔は彼の公式サイトで過去作品の音源を聴くことが出来たのだ。しかも無料で)

 そんなカプースチンの室内楽に取り組むのは大好きで、これが中々に形にするのが難しい。それが楽しい。そしてまず音を並べるのも大変。(個人的に、です)
フルートとチェロとピアノの為のトリオもいつか取り上げたいと思っているものの、まだ下払さんの説得が済んでおりません。笑

 ざっくりラヴェルあたりから「ジャズ」の語法がクラシックに取り入れられるようになり、『ジャズの語法』という表現がクラシック界に跋扈する事になります。取り敢えずちょっとそう言う和音を見付けたら『ジャズの語法を用いている』と言っておけば良いので楽なのは分かるのですが、如何せん使い過ぎな印象があります。
 結局カプースチンについては「クラシックの演奏家が書かれている譜面を弾いた結果、ジャズっぽく聴こえる」という触れ込みで作品が出回っている状態がイマイチしっくり来ないんだと思うのです。こう言うと何かと噛み付いてくる方々もいるとは思いますが、バッハとモーツァルトとベートーヴェンを演奏する時に同じようなアプローチの仕方をするかという話です。カプースチンの昔のビックバンドの作品が好きだと書いたのもそう言う理由で、ちゃんと専門家が演奏しているということが何よりも良いと思ってしまいます。

 どうしてもクラシックの立場からの目線になってしまいますが、ジャズとクラシックを比較する時にどうも「楽譜の存在とアドリブの有無」だけが取り沙汰されて、それ以外の重要な事に全く目を向けられていない事が多いと言うのは、随分な傲りだと思ってしまう今日この頃です。


  亮平 ヴァイオリンソナタ
Ryohei Mori : Sonata for Violin & Piano D flat Major

『耳をすませば』を観て「ヴァイオリンをやりたい!」と言い出したのを覚えています。結果、小学生の間六年間、習わせてもらっていました。中学校に上がる段階で「学業に専念する」という理由で辞めてしまった事を今でも後悔しているのです。そのせいで、とは言いませんが、ヴァイオリンという楽器には格別の思い入れがあります。

 上京して知り合った迫田君という同級生のヴァイオリニスト (三月の『プーランクも聴け!』に登場します) が居ます。彼とは毎晩と言うと大袈裟かもしれませんが、かなりの頻度で学校から譜面を借りてきて集まっては、名前も知らないような作曲家のヴァイオリンとピアノの為の作品を初見で演奏して遊んでいました。数々のどうしようもない曲との出逢いに、稀にある大発見。
 確かアイヴズだったと思うのですが、ヴァイオリンパートに歌詞が書いてあってそれを急に歌い出した時には腸が捻じくり返るかと思うほどにツボに入ってしまったのを今でも覚えています。「フィッシャーマン。イェス!」という歌詞でした。
 当然そんな事をしていると、認知している (一度でも触った) ヴァイオリンソナタの数はかなりのものなのに、弾きたいなぁと思わせる曲の少ない事と言ったら!そこで自分が書けば良いと何故かあまり思わなかったのか、実は多楽章形式の真っ当なソナタは完成しないまま今日に至ります。

 この作品を書いた経緯はほとんど覚えていません。ある時、伊勢に滞在していた二日程で今形にしてあるほとんど全ての構想をまとめた事と、その際に第三楽章 (つまり最終楽章) にあたるテーマまで考えていた事だけは確実です。……つまり、今の状態では未完成という事になってしまうのですが、そこまで (最終楽章まで、という意) 書く気が今の所起きないのと、現状では下手に後続楽章を書くよりも、第一楽章だけにしておいても十分だと思ってから早三年程が経ちました。
 弦楽器に対してフラットの多い調を書くというのは一般的には稀なのですが、不思議なものでこの曲は最初からヴァイオリンとピアノの音で、変ニ長調を採っていたのです。一瞬たりとも移調しようなんて考えませんでしたし、冷静になるまでこの曲がフラット五つも付くような調であるということも意識していませんでした。

 今回の企画を発案した時に、粟津さんにお願いするぞと考えた次の瞬間には「粟津さんにこのソナタを弾いてもらえたら素敵だ」と思っていたので、実現して大変嬉しい限りなのです。


ナディア・ブーランジェ 三つの小品
Nadia Boulanger : Trois Pièces 

 人様の曲なので普通に楽曲に触れていこうと思います。

 一曲目は変ホ短調。私のヴァイオリンソナタで、弦楽器に変ニ長調が如何に珍しいかと書いていたのに、更にフラットを一つ増やしておりますね。ピアノが淡々と高いところで揺れていて、チェロが旋律を落としていく様子が大変印象的です。
 二曲目は半拍遅れのカノンで全体が構成されています。民謡的な主題が心地良く「小品」の名に相応しい楽曲です。チェロが先に出て、ピアノが後を追う形になっているのですが、当然ピアノは他の音も少し弾いていて、その音符がカノンとなっている声部の音よりも幾分小さく表記されており、非常に見辛いというオマケ付き。豆譜、ガイド、とか言うのですがそう言う場合は他の楽器の演奏している部分が書かれている場合が多く、下手すると「弾かなくてもいいのか?」と勘ぐってしまうのでこの書き方は出来たら今後やめて頂きたいですブーランジェ師匠。
 三曲目で、いきなり!?と思います。少なくとも私は思いました。どういうコンセプトで三曲をまとめたか分かりませんが、俺がもし教える立場で生徒がこの構成で書いて持ってきたら一言言わせてもらうと思う。そこが天才と凡人の違いなのかもしれませんね。。
 中間部には、ナディアの妹であるリリ・ブーランジェの香りを感じさせる部分もあり、結局一番ブーランジェらしいとは言える楽章です。聴き終わった頃には、脳内に「ここで、クエスチョン」と言うセリフが過ぎることでしょう。


亮平 ピアノ三重奏曲第二番 ハ長調 35:00
Ryohei Mori : Piano Trio No.2 C Major

 とにかく「春」というような上昇思考的副題が付いて然るべき勢いの楽曲です。現状で私のピアノ三重奏曲(Vn. Vc. Pf.の編成のもの)は二曲あるのですが、その第一番 (「森 亮平を聴け!」第三弾で演奏予定です) と対照的、とは言わないまでも、精神的にかなり反対側にある作品です。 雑に言ってしまえば「若い」という表現になってしまうのが痛恨の極みではあるものの、今振り返ってみればここまでのテンションを保ってよく書いたなぁと過去の自分に舌を巻いています。

 第一楽章はソナタ形式。やりたい事全部やったな!という感じです。展開部で広げすぎたのを省みてか、再現部では無理矢理第一主題と第二主題を同時に再現させています。このトリオ全曲を通して「ミ」の音に随分と固執していますが、それも狙いだったのです。楽章最後のヴァイオリンに、開放弦を逃れられないE音を何度も弾かせるのもそう。

 第二楽章はスケルツォ的な楽章で、トリオではショパン的なメロディが顔を出します。……というかショパンだという事が発覚致しました……。恐ろしい事に書いて初演して聴き返してもしばらくするまで全く気付かず、たまたまショパンのワルツを嗜む程度に弾いていたら、なんか聴いた事があるぞとなりまして……確認したら自分の書いた曲だったという大事故です。
 そのワルツも知らない曲じゃないし (本番とかでは弾いてはないけど多分練習した事もある) 当然私が剽窃したんだろうと責められても反論出来ないのですが、これは直すべきではないと判断してそのままにしてあります。……多分、ショパンも許してくれるのではないかと思う。。

 余談ですが、ショパンのチェロソナタの第二楽章の中間部の旋律が大変に美しいのです。初めてお会いしたのが恥ずかしながら大学在学中の初見の授業だったのですが、絶対聴いたほうがいいと思います。笑

 第三楽章からは曲が終わるまで止まる事なく演奏されます。粟津さんはこれ以降が全て第三楽章だと思っていたらしく、確かに切れ目がないのでそう思われても仕方ありません。
 かなりスケールの大きな盛り上がりのある第三楽章は、三部形式の緩徐楽章と言って良いのでしょう。ト長調で始まり、後半でテーマが再現される際に全く旋律の形を変えず伴奏がホ短調になります。ここでも「ミ」という事ですね。メロディは正式にはホ短調には終止せず、ヴァイオリンのカデンツァ的な経過部を挟み、第四楽章の変奏曲へと繋がります。

 第四楽章の主題は第一楽章と同じもの。恥ずかしながら循環形式でございます。(二楽章でもそのテーマは出してあるのでこれは紛れもない循環主題であります) フィナーレを含めると全部で九つの変奏が行われます。折角なので各変奏の説明も。

 第一変奏 ヴァイオリンとチェロの二重奏による変奏。かなりシンプルに「デュオにしただけ」ですが、終楽章直前のカデンツァ以外では初めてピアノが居ないままある程度の時間が経過するという部分なので、割と新鮮に聴こえるのではないでしょうか。
 第二変奏 三連符を中心にした変奏。かなり古典的な書き方をしてあります。
 第三変奏 三連符と来たら十六分音符でしょうという事で勢いそのままに駆け抜けます。この辺りからテーマの変わりようが印象的に感じるのは私だけでしょうか。メロディの扱いに関してはこの後の変奏全てに於いて「こういう変え方って良いよね」と素直に思えます。手前味噌も甚だしいですが。
 第四変奏 ずっとピアノが十六分音符を担当していましたが、今度は旋律としてヴァイオリンが細かい音符を引き継ぎます。こういう自由な変奏の仕方も好きですね。
 第五変奏 半分ふざけているような感じです。こういうのも変奏と呼んで良いというのはプーランクやフランセから学びました。
 第六変奏 大変珍しいピアノのみの時間です。弾くたびに「やっぱりピアノだけになんかしなきゃ良かった」と思います。でも、弾き始めとか結構気に入ってるので「無けりゃ良かった」とは思いません。笑
 第七変奏 接続詞的な変奏、とでも申しましょうか。雰囲気を一気に変える為に不可欠な変奏なのですが、どうしても変奏の一つとカウントしづらい変奏です。
 第八変奏 ここまで聴いて下さった方には恐らく心地良い諦めを感じさせるのではないでしょうか。個人的にはここの為にずっと演奏して来たなぁと思う所ですし、何度聴いても自分の曲ながら感動してしまう所です。恥ずかしい。
 フィナーレ テーマが二拍遅れで演奏されます。短めの交響曲に等しい演奏時間を締めくくるに相応しいエンディングの最後の最後で、第六変奏の冒頭音形 (C.E.A.F#.G)が顔を出すのも何かと感慨深いものがあります。


「森 亮平を聴け!」は全三回の構想なのですが、初回にして「聴くにも演奏するにも最も大変なプログラム」になってしまいました。昨年一年間、武蔵ホール配信コンサートに私が出演する回ほとんどで新曲を書かせて頂いて来て、常連の方々がいるとすればこれまで聴いてきた「森 亮平の作品」像との対比を楽しんで頂ければ尚の事幸いです。