「森 亮平を聴け!」第一弾プログラムノート

2022221日の武蔵ホール配信コンサートのプログラムノートです。ヴァイオリンに粟津惇さん、チェロに中西哲人さんをお呼びして、私の作品を中心にプログラムを構成しました。興味のある方は動画(←リンクです)と併せてどうぞ。

 

  亮平 私は腹の痛みを持っている (直訳)
Ryohei Mori : J’ai mal à l’estomac

 オペラを観た作曲家が、帰宅後に覚えている主題でファンタジーを書くなんて事はよくあります。ミュージカルを振った作曲家が公演終了後に覚えている (気に入っている) モチーフを使って曲を書いても良いではありませんか。とやかく言われるのが嫌で詳細は書きませんが、副題として「ちよっとした引用を含むフランス風小品」と付けてある通りの作品です。
 割とフランス風が上手くいった気がしており、個人的には大変満足です。


ニコライ・カプースチン ピアノ三重奏の為のアレグロ
Nikolai Kapustin : Allegro for Piano Trio opus 155

 室内楽曲が親しまれている作曲家ほど、オーケストラの曲を見るべきだと思います。もちろん「有れば」の話ですが。この演奏会でも折に触れて取り上げているフランセや、プーランクは特にオーケストラ曲を見ると大変楽しいのです。
 ピアノ独奏にあまり興味が持てない私でも、カプースチンのピアノソロ曲に食指が動いた時期がありました。が、どこで見たのか聞いたのか分かりませんが「私の作品はジャズではなくクラシックだ」と言うような内容の発言をなさったと知ってから一気に興味が薄れてしまい、最近では敢えて聴こうと思うのは「アルトサクソフォンとオーケストラの為の協奏曲」くらいです。カプースチンの昔のオケ (というよりビックバンド) 曲とか凄く好きだったのですが。。(今でも聴けるか分かりませんが、昔は彼の公式サイトで過去作品の音源を聴くことが出来たのだ。しかも無料で)

 そんなカプースチンの室内楽に取り組むのは大好きで、これが中々に形にするのが難しい。それが楽しい。そしてまず音を並べるのも大変。(個人的に、です)
フルートとチェロとピアノの為のトリオもいつか取り上げたいと思っているものの、まだ下払さんの説得が済んでおりません。笑

 ざっくりラヴェルあたりから「ジャズ」の語法がクラシックに取り入れられるようになり、『ジャズの語法』という表現がクラシック界に跋扈する事になります。取り敢えずちょっとそう言う和音を見付けたら『ジャズの語法を用いている』と言っておけば良いので楽なのは分かるのですが、如何せん使い過ぎな印象があります。
 結局カプースチンについては「クラシックの演奏家が書かれている譜面を弾いた結果、ジャズっぽく聴こえる」という触れ込みで作品が出回っている状態がイマイチしっくり来ないんだと思うのです。こう言うと何かと噛み付いてくる方々もいるとは思いますが、バッハとモーツァルトとベートーヴェンを演奏する時に同じようなアプローチの仕方をするかという話です。カプースチンの昔のビックバンドの作品が好きだと書いたのもそう言う理由で、ちゃんと専門家が演奏しているということが何よりも良いと思ってしまいます。

 どうしてもクラシックの立場からの目線になってしまいますが、ジャズとクラシックを比較する時にどうも「楽譜の存在とアドリブの有無」だけが取り沙汰されて、それ以外の重要な事に全く目を向けられていない事が多いと言うのは、随分な傲りだと思ってしまう今日この頃です。


  亮平 ヴァイオリンソナタ
Ryohei Mori : Sonata for Violin & Piano D flat Major

『耳をすませば』を観て「ヴァイオリンをやりたい!」と言い出したのを覚えています。結果、小学生の間六年間、習わせてもらっていました。中学校に上がる段階で「学業に専念する」という理由で辞めてしまった事を今でも後悔しているのです。そのせいで、とは言いませんが、ヴァイオリンという楽器には格別の思い入れがあります。

 上京して知り合った迫田君という同級生のヴァイオリニスト (三月の『プーランクも聴け!』に登場します) が居ます。彼とは毎晩と言うと大袈裟かもしれませんが、かなりの頻度で学校から譜面を借りてきて集まっては、名前も知らないような作曲家のヴァイオリンとピアノの為の作品を初見で演奏して遊んでいました。数々のどうしようもない曲との出逢いに、稀にある大発見。
 確かアイヴズだったと思うのですが、ヴァイオリンパートに歌詞が書いてあってそれを急に歌い出した時には腸が捻じくり返るかと思うほどにツボに入ってしまったのを今でも覚えています。「フィッシャーマン。イェス!」という歌詞でした。
 当然そんな事をしていると、認知している (一度でも触った) ヴァイオリンソナタの数はかなりのものなのに、弾きたいなぁと思わせる曲の少ない事と言ったら!そこで自分が書けば良いと何故かあまり思わなかったのか、実は多楽章形式の真っ当なソナタは完成しないまま今日に至ります。

 この作品を書いた経緯はほとんど覚えていません。ある時、伊勢に滞在していた二日程で今形にしてあるほとんど全ての構想をまとめた事と、その際に第三楽章 (つまり最終楽章) にあたるテーマまで考えていた事だけは確実です。……つまり、今の状態では未完成という事になってしまうのですが、そこまで (最終楽章まで、という意) 書く気が今の所起きないのと、現状では下手に後続楽章を書くよりも、第一楽章だけにしておいても十分だと思ってから早三年程が経ちました。
 弦楽器に対してフラットの多い調を書くというのは一般的には稀なのですが、不思議なものでこの曲は最初からヴァイオリンとピアノの音で、変ニ長調を採っていたのです。一瞬たりとも移調しようなんて考えませんでしたし、冷静になるまでこの曲がフラット五つも付くような調であるということも意識していませんでした。

 今回の企画を発案した時に、粟津さんにお願いするぞと考えた次の瞬間には「粟津さんにこのソナタを弾いてもらえたら素敵だ」と思っていたので、実現して大変嬉しい限りなのです。


ナディア・ブーランジェ 三つの小品
Nadia Boulanger : Trois Pièces 

 人様の曲なので普通に楽曲に触れていこうと思います。

 一曲目は変ホ短調。私のヴァイオリンソナタで、弦楽器に変ニ長調が如何に珍しいかと書いていたのに、更にフラットを一つ増やしておりますね。ピアノが淡々と高いところで揺れていて、チェロが旋律を落としていく様子が大変印象的です。
 二曲目は半拍遅れのカノンで全体が構成されています。民謡的な主題が心地良く「小品」の名に相応しい楽曲です。チェロが先に出て、ピアノが後を追う形になっているのですが、当然ピアノは他の音も少し弾いていて、その音符がカノンとなっている声部の音よりも幾分小さく表記されており、非常に見辛いというオマケ付き。豆譜、ガイド、とか言うのですがそう言う場合は他の楽器の演奏している部分が書かれている場合が多く、下手すると「弾かなくてもいいのか?」と勘ぐってしまうのでこの書き方は出来たら今後やめて頂きたいですブーランジェ師匠。
 三曲目で、いきなり!?と思います。少なくとも私は思いました。どういうコンセプトで三曲をまとめたか分かりませんが、俺がもし教える立場で生徒がこの構成で書いて持ってきたら一言言わせてもらうと思う。そこが天才と凡人の違いなのかもしれませんね。。
 中間部には、ナディアの妹であるリリ・ブーランジェの香りを感じさせる部分もあり、結局一番ブーランジェらしいとは言える楽章です。聴き終わった頃には、脳内に「ここで、クエスチョン」と言うセリフが過ぎることでしょう。


亮平 ピアノ三重奏曲第二番 ハ長調 35:00
Ryohei Mori : Piano Trio No.2 C Major

 とにかく「春」というような上昇思考的副題が付いて然るべき勢いの楽曲です。現状で私のピアノ三重奏曲(Vn. Vc. Pf.の編成のもの)は二曲あるのですが、その第一番 (「森 亮平を聴け!」第三弾で演奏予定です) と対照的、とは言わないまでも、精神的にかなり反対側にある作品です。 雑に言ってしまえば「若い」という表現になってしまうのが痛恨の極みではあるものの、今振り返ってみればここまでのテンションを保ってよく書いたなぁと過去の自分に舌を巻いています。

 第一楽章はソナタ形式。やりたい事全部やったな!という感じです。展開部で広げすぎたのを省みてか、再現部では無理矢理第一主題と第二主題を同時に再現させています。このトリオ全曲を通して「ミ」の音に随分と固執していますが、それも狙いだったのです。楽章最後のヴァイオリンに、開放弦を逃れられないE音を何度も弾かせるのもそう。

 第二楽章はスケルツォ的な楽章で、トリオではショパン的なメロディが顔を出します。……というかショパンだという事が発覚致しました……。恐ろしい事に書いて初演して聴き返してもしばらくするまで全く気付かず、たまたまショパンのワルツを嗜む程度に弾いていたら、なんか聴いた事があるぞとなりまして……確認したら自分の書いた曲だったという大事故です。
 そのワルツも知らない曲じゃないし (本番とかでは弾いてはないけど多分練習した事もある) 当然私が剽窃したんだろうと責められても反論出来ないのですが、これは直すべきではないと判断してそのままにしてあります。……多分、ショパンも許してくれるのではないかと思う。。

 余談ですが、ショパンのチェロソナタの第二楽章の中間部の旋律が大変に美しいのです。初めてお会いしたのが恥ずかしながら大学在学中の初見の授業だったのですが、絶対聴いたほうがいいと思います。笑

 第三楽章からは曲が終わるまで止まる事なく演奏されます。粟津さんはこれ以降が全て第三楽章だと思っていたらしく、確かに切れ目がないのでそう思われても仕方ありません。
 かなりスケールの大きな盛り上がりのある第三楽章は、三部形式の緩徐楽章と言って良いのでしょう。ト長調で始まり、後半でテーマが再現される際に全く旋律の形を変えず伴奏がホ短調になります。ここでも「ミ」という事ですね。メロディは正式にはホ短調には終止せず、ヴァイオリンのカデンツァ的な経過部を挟み、第四楽章の変奏曲へと繋がります。

 第四楽章の主題は第一楽章と同じもの。恥ずかしながら循環形式でございます。(二楽章でもそのテーマは出してあるのでこれは紛れもない循環主題であります) フィナーレを含めると全部で九つの変奏が行われます。折角なので各変奏の説明も。

 第一変奏 ヴァイオリンとチェロの二重奏による変奏。かなりシンプルに「デュオにしただけ」ですが、終楽章直前のカデンツァ以外では初めてピアノが居ないままある程度の時間が経過するという部分なので、割と新鮮に聴こえるのではないでしょうか。
 第二変奏 三連符を中心にした変奏。かなり古典的な書き方をしてあります。
 第三変奏 三連符と来たら十六分音符でしょうという事で勢いそのままに駆け抜けます。この辺りからテーマの変わりようが印象的に感じるのは私だけでしょうか。メロディの扱いに関してはこの後の変奏全てに於いて「こういう変え方って良いよね」と素直に思えます。手前味噌も甚だしいですが。
 第四変奏 ずっとピアノが十六分音符を担当していましたが、今度は旋律としてヴァイオリンが細かい音符を引き継ぎます。こういう自由な変奏の仕方も好きですね。
 第五変奏 半分ふざけているような感じです。こういうのも変奏と呼んで良いというのはプーランクやフランセから学びました。
 第六変奏 大変珍しいピアノのみの時間です。弾くたびに「やっぱりピアノだけになんかしなきゃ良かった」と思います。でも、弾き始めとか結構気に入ってるので「無けりゃ良かった」とは思いません。笑
 第七変奏 接続詞的な変奏、とでも申しましょうか。雰囲気を一気に変える為に不可欠な変奏なのですが、どうしても変奏の一つとカウントしづらい変奏です。
 第八変奏 ここまで聴いて下さった方には恐らく心地良い諦めを感じさせるのではないでしょうか。個人的にはここの為にずっと演奏して来たなぁと思う所ですし、何度聴いても自分の曲ながら感動してしまう所です。恥ずかしい。
 フィナーレ テーマが二拍遅れで演奏されます。短めの交響曲に等しい演奏時間を締めくくるに相応しいエンディングの最後の最後で、第六変奏の冒頭音形 (C.E.A.F#.G)が顔を出すのも何かと感慨深いものがあります。


「森 亮平を聴け!」は全三回の構想なのですが、初回にして「聴くにも演奏するにも最も大変なプログラム」になってしまいました。昨年一年間、武蔵ホール配信コンサートに私が出演する回ほとんどで新曲を書かせて頂いて来て、常連の方々がいるとすればこれまで聴いてきた「森 亮平の作品」像との対比を楽しんで頂ければ尚の事幸いです。

iPad

 iPadが発売されてからiPadを買うまでは、かなり長かったように思います。必要ないと思っていたのです。

 生来、演奏中に自分の横に譜めくりの人がいる事がどうも苦手です。以前、譜めくりの人がついてしまう本番で、どうしても (本当は弾く必要がないけど欲しいのに) 手が足りない所があって「めくらなくていいからこの音 (低音で譜めくりの位置からとても弾きやすい、しかもたった一音) をこのタイミングで弾いてくれ」とお願いして断られた時からもう「ピアノを弾くときに譜面をめくる人が居る必要が自分には無い」と、あらゆる方法を使ってなるべく楽にセルフで譜めくり出来る譜面を整備するに至りました。

 元の譜面が大概A4強のサイズで、それを50%に縮小すればA4一枚で4ページになってくれます。必然的にめくりの回数もグッと減りますし、任意のタイミングでめくるような製本も可能という事でしばらくやっていました。

 そこに来て、iPadで譜面を管理出来ると知り、ちょうどその時ベルリンフィルのアプリに課金した事もあったので、疑心暗鬼ながらiPadを購入したらもう。その快適さに脱帽致しました。iPadを横向きにして譜面を二ページ分表示するともちろんA4サイズよりは大分小さくなりますが、以前は最小50%の縮尺で見ていたし、ミニチュアスコアやなんかよりも音符はよっぽど大きい。しかも、1ページずつ譜面を先に送れるのが最強です。

 ……が、やはり心配は心配でした。iPad (またはアプリ) が演奏中に「落ちる」事があると聞きましたし、結局二年くらいは試験的に使いながらも予備で紙の譜面を置いたりしていました。使っていくうちに、また、他の人の話を聞くうちに「本番中は電圧の変動があるような電源に繋がず、なるべく他のアプリを起動していない状態で、普段からエロいコンテンツを違法にダウンロードしない(当然私には関係ない話です)」という事を守れば不意に落ちる事はないであろうという結論に至り、実際今でも演奏中に落ちた事はありません。

 譜めくりペダルも沢山試しました。どうにも数十回に一回、2ページ一気に捲れてしまう事があったのですが、最近そういう事が起こらないペダルを発見。割と普段から真ん中のペダル(ソステヌートペダル)を多用するタイプなので、それとソフトペダルを同時踏みしている時は手でも捲れるという都合の良さ。慣れれば本当にもう離れられない。譜面台を立てなければそれだけピアノの音も入ってくるし。

 iPadで譜面を見る事を反対する方達に対して一応書いておきますが、基本的にIMSLPやなんかでタダで落とした譜面は本番で使用致しません。購入した譜面をコピーして、スキャナでPDF化して使っております。無論、そのデータは自分の演奏以外の用途では使っておりませんので悪しからず。

生まれ年

 ニールセンの生まれ年が1865年である。
私の住所の郵便番号の下3桁が、ニールセンの生まれ年の下3桁と同じである。○○○○865なのだ。

 バッハの生まれ年は1685年である。
非常に紛らわしい。しかし今度は私の携帯電話の番号と下4桁と同じだ。

 私の誕生日はモーツァルトのレクイエムのケッヒェル番号と同じである。この場合はケッヒェル側を大変覚えやすくて有難い。

 

 生まれ年があるなら、馬ドシラがあってもいいと思う。

 馬シラソ

 馬ラソファ

 馬ソファミ

 馬ファミレ

 馬ミレド

 馬レドシ

 これらも同様に。

 これで皆様は「生まれ年」と聞くたびに馬がピアノの鍵盤上をリズミカルに跳ねる絵が想起されるに違いない。私が年男になる次の年まで馬は順番待ちをしていると思うと可愛い。

武蔵ホール第一回反省

 反省と書くと、いかにも何かやらかしたかの様な印象を与えてしまうかもしれませんが、特にそういう訳ではありません。そういう訳ではないと信じたい。
 先日の武蔵ホール配信コンサートをご覧頂いた皆様、ありがとうございます。この様なご時世にも関わらずホールに駆けつけて下さった方々には何と御礼を申し上げれば良いか。。

 共演した皆様と、進藤組の皆様と、ホール自体に助けられました。……というような月並みな表現しかできない自分が何とももどかしいですが、まさにその通りで、何事も信頼が大事だなと改めて思います。もう任せておけば何とかなると手放しでいられるのは本当に幸せな事です。

 反省と言えば、コンニャクの入ったグラスを何故ピアノの上で撮影しなかったのかという事です。自分で「コンニャクの入ったグラスを」なんて言いにくいセリフを言っているにも関わらず写真を撮るのに夢中で普通にテーブルの上で撮影してしまいました。
 コニャックの言い違えとして「コジャック」「コダック」「コンタック」「パナップ」など色々考えてやはりコンニャクだろうとなり、絵になる玉コンニャク (本当は緑とオレンジと通常のものの三色の玉コンニャクを探していました) を求めて駆けずり回り、また、本当はカクテルグラスが綺麗だろうとこれまた駆けずり回り、結果的にあそこに落ち着いた時点で、私の中には (カメラの扱いにも慣れていないのに) 取り敢えずある程度いい感じに写真を撮るという事しか頭に無くなってしまいました。ごめんなさい。

 この回は全編アーカイブが残っていますので、こちらから (←クリックで飛びます) どうぞ。

 

 次回は2/21の19:30より「森 亮平を聴け!」第一回です。ヴァイオリンに粟津惇さん、チェロに中西哲人さんをお呼びして、私のピアノ三重奏曲第二番を中心にお送り致します。
 このお二人と私、言わば「生きるファントムトリオ」という (共演順はファントムが先です) ことになりましょう。ピットで共演させて頂いた事をきっかけに、ずっとこのお二人に自分の曲を弾いていただけたら素敵だと思っていたのが遂に叶うという非常事態です。

 生観覧をご希望の方はこちら (←相変わらずクリックで飛びます) から。お問い合わせ先は変わっておりません。今回は生で聴いて頂くのも少しお勧めしてみたいと思います。というのもピアノ三重奏曲第二番の規模がかなり大きく、生で聴き終わった後の満足感は割とあるのではないか、と思う訳です。
 もっとも、有観客前提の回が三月に控えておりますので無理は言いませんが!笑

 何はともあれ、どうぞご贔屓に!

エノキ

 榎茸が好きだ。むろん食用の榎茸の事だ。某しゃぶしゃぶチェーンに行って、えのきだけだけを大量に注文するくらいに好きだ。

 ここで一句詠むならば「白エノキ ブラウンエノキ 白エノキ」である。もちろんそこでの私の注文の仕方である。

 歯に挟まるのは少しやめて欲しいけど、それも含めて好きだ。今晩はキノコ鍋だったのだが私がイオンで買い物籠に投入した「えのき茸 大」という商品は大変良い働きをした。現に今、歯医者に行ったら「左下1、2斜線、エノキ」などと言われるのだろう。

 ここで一首詠むならば「エノキダケ 分量二倍の 大エノキ あったらいいな 特大エノキ」だろう。分量二倍でも値段はほんの少し上乗せされたぐらい、と言うのが本当に不思議である。

 エノキは何にでも合う。甘味としては弱い、くらいがウィークポイントではないだろうか。えのきだけだけは何物にも変えられない。自分でエノキを調理する際はなるべく軸を残して束の状態で投入する。バラバラにしてしまうとあの集合体の部分が食べられないではないか。
 そう、何と言っても根本付近の付かず離れずの集合している感が良い。他のきのこにも、例えば舞茸やしめじにも同じような部分があるが、やはりえのきだけにはえのきだけだけの集合感がある。ついでに言うと、石づきだけ切り落としたらそれ以上細かく切る事もしない。如何に軸を残して石づきギリギリを切るかに全てが掛かっている。例え石づきを切り落としただけの状態で調理を初めても、そのままの状態を保ってくれる事など決して無いのだから。今思いついたのだが、丸ままの状態で天ぷらにするのは良いかもしれない。形は残る可能性がグンと上がるであろう。もうすぐ恵方巻きを食べる時期がやってくる。恵方エノキ天でも北北西に向かって食べれば年神様も心意気は買ってくれるはずだ。

 ここで一節詠むならば「エノキの軸だけ 販売すれば 誰が買うのか 俺は買う」となる。房の部分 (あの部分を「房」という呼ぶのかは知らない) だけが欲しいという人もいる可能性があるとすると、軸だけの販売も可能なのではと思う。

 2028年がエノキダケ栽培成功百周年らしい。ちょうど良いので2028年にはエノキダケの為ダケの演奏会を開催しようと思う。前人未到の「エノキダケ協奏曲」を書こうではないか。そうしたらどこかの農協様あたりがスポンサーについてくれて、一年分の榎茸を私にくれるかも知れない。そうしたら私は1カ月足らずで完食してみせよう。

 何気なく書いてしまったが「エノキダケ協奏曲」としてしまったら、榎茸を楽器として扱う事になるではないか。どう音を出すのだろうか。ヴァイオリンの弓の代わりに長いエノキを使う事になるとする。つまりそのような長いエノキタケの栽培に成功してしまったという事ではないか。それは、ダイエットメニューとかではなくもう「エノキ麺」と呼ぶに相応しい。私は麺類も好きなので、「エノキ麺」にはきっと目が無いのだろう。やがてエノキ麺は「ラーメン つけ麺 エノキ麺」と呼ばれるに相応しい地位を確立するに違いない。

 ジョン・ケージはキノコが大好きだったそうだ。そういう意味では私もジョン・ケージと仲良くなれるかと思ったが、今改めて調べてみると微妙かもしれない。ただし、いずれ私の名前がウィキペーディアに載るような事があった場合には「エノキ研究」という項目を作ってもらえるように、今後少しエノキについての研究を初めてみようかとも思う。他のキノコに手を出すつもりはない。あくまでえのきだけだけだけに集中するのだ。

 因みに食材で一番何が好きかと聞かれれば、それはもちろん米である。

机を買う話

 家具を買うというのはかなり重要なステップだと思う。
 自分の場合、普段特に家具を気にするようなタチでもないのにふとした事から「良い机が欲しい」などと考え始めるのだ。

 椅子については人一倍考えてきたつもりだ。まずピアノ椅子に始まり、作業に適した椅子をずっと追い求めてきた。結果的に納得のいくものと出会えたかと訊かれると困る。少なくともピアノと向き合う椅子に関して一定の方向性は見つかっているものの、他の椅子については未だに迷っている。

「座る」という事だけで言えば二脚、うちにある椅子たちには心底納得いっている。
 しかし、椅子というのはただ座るだけではない。座って何をするかによって大きく求めるものは変わってくる。そう考えると納得のいくものはない。

 最近行った宿で炬燵に久し振りに入った。元来炬燵への憧れは強く、そこで居眠りなどした日には最高なのだろうと思っていたのだが観光旅行で行ったにも関わらずどういう訳か仕事が困るほど捗ったのだ。
 自分は正座は苦手だと思っていたし、胡座も同様に足が割と早く痺れてしまうのが悩みの種だったが、本来自分の骨格に合っているのは「地べたに座って机に向かう」というスタイルではないのかと思わざるを得ない。

 畳も好きなのだが、つまるところ和室に憧れているという事はないらしいという事も判明した。翌朝その宿の畳を丹念に嗅いでみたがどうやら本物の畳ではない。この事が何を意味するかと言うと、私が集中する為に必要なのは地べたに座って向かいあう為の適切な卓なのだ。

 もちろん、旅行先という非日常な空間だからこそそんなふうに思うのだとも考えたが、ある意味「日常」を「非日常」に持ち込んでしまっても「非日常」を厭わず集中出来たということの方が大きいという結論に至り、帰宅した翌日に家具屋に向かった。

 アウトレットで80%OFFという破格のステキな家具を見ながら、その店に入って暫く通ってきたエリアの一点物の家具が頭をチラついて離れない。

 アウトレットの中から「コレか、アレかな」と言いながら、やはりどうしても頭から振り払えない机があるのに気付く。別にアウトレットがどうこうという話ではない、こんなに頭を離れない机があるのに他のもので納得しようとしている自分に気が付いてからの判断は早く、今その机に肘を置いてこのエッセイを書いている。

 愛着と言うのは形を変えながら永久に続くものだと思う。愛着を持つためにはそのモノに対する執着と愛情が不可欠だ。

作品番号を付けられたい

 作品番号を持つような作曲家になりたい。現在では「出版された順で作品番号が付けられる」という説もあるが、それは勘弁。出版は難しい。

 いずれ自分が天寿を全うした後に、他の誰かに整理してもらって番号が付くのも良いけど、整理するに足る程の情報を遺せる自信もない。往々にして書簡であったり初演された演奏会の情報なんかがそういった番号を付ける際の判断材料になり得ると思うのだが、まず手紙を書くことがない。
 手紙を書いた事がない訳ではもちろん無いけれど、少なくとも自分が作曲をしている曲について「私はまさに〇〇を書いている所で」なんて誰かに書いて送った覚えは毛頭ない。

 それに近いものがメールやLINEの類だがそんなものは恐らく前もって消去するだろうし、消しきれなかったとしても膨大な迷惑メールの墓場からそういったやり取りをピックアップするのも大変だ。今だってそういうメールを見つけるのは大変なのに。
 万が一「- 森 亮平の重要な発言 -」などと銘打たれてLINEのやり取りを書籍化されたりしては、もう目も当てられない。
「当初のお話では明日が期限でしたが、どうしても心が動かず……もう二、三日猶予を頂きたく思います」なんて残った日には、我が子孫が残るとしても彼らからは他人のフリをされるであろう。
 その時代に「書籍化」なんて言葉が残っているかも微妙である。せいぜいまとめサイトが良い所か。

 要は自分で整理しておくのが一番で、そうなると正直ここ最近のものしか時系列に自信がない。
 そこに来て、昨年の引っ越しである。一から数え直すチャンスとしては申し分無いというわけでこれを機に整理する事を心に決め、こうしてエッセイとして認めている次第であります。

 どう表記しようかしら。引っ越して最初に仕上げたものにop.F-1とか書いてみるけどなんか収まりが悪い。因みにFは船橋のFです。何かスタイリッシュでそれっぽいアイデアがあるよという方はご一報ください。
 それに付加して、今後は積極的に、しかし送っても差し支えのない方に、今自分が何を書いていてそれがどんな具合かを無闇に送って行こうと思う。もちろんメールやLINEで。
「私は今三曲目のチェロソナタを書いている所です。しかし〇〇さん(人名)は『こんな曲は弾けない』と言うんです。それを聞いて危うく取っ組み合いになる所でした!私はまだその曲の譜面も書いていないのに」みたいな感じで。流石に下ネタは書かないと思う。

 また、今後私が何曲も「未完成交響曲第〇番」なんてタイトルを付けた交響曲(ここは譲れない)を書いて、その番数が実際に整理してみると作曲順やなんかとは全く関係無い数字だったなんて事もやりたい。

 

「森の五番って知ってる?」

「あぁ、交響曲第四番の『未完成交響曲第五番』の事?」

「違う違う、『ミカン星交響曲第五番』の話!」

「そっちか!交響曲第九番『ミカン星交響曲第五番』ね!知ってる知ってる!一楽章に『第三楽章』って副題付いてるやつでしょ?」

「あれ、そうだっけ?『ミカン星五番』は一楽章に『Final』って書いてあるやつじゃなかったかしら」

「こいつは失敬。交響曲第十八番【『ミカン星交響曲第五番』第二番】の事だったか」

「その辺だいぶ紛らわしいよな」

「でもさ、『森の五番』って言われたら普通は交響曲第五番【ピアノ協奏曲『完成』】の事だと思うぜ」

「流石ですな。何も知らなかったらコントラファゴットソナタ『森の五番』に飛び付くところですよ」

「それだったら『コントラファゴットソナタ』って言うでしょ。森のファゴット周りは分かりやすいから。『プーランク作曲・ファゴットソナタ』と、それしか無いもの」

「そうね、他の木管のソナタとか最早副題じゃ判別不能だもんなぁ。フルートソナタ第八番『オーボエソナタ』とかさ」

「それマシな方でしょ?一番ヤバいのは、ホラ」

「あれはふざけすぎ。《ファゴリネットソナタ【アウチェリンデロン式オーボエェェェェエの為の交響的シンフォヌー『合掌付き』】第
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「よく覚えてたなぁ。そのソナタ、結局未だに何の楽器のための曲か分からないんでしょ?ウケるよね」

「マジウケる」

 

そんな曲が書ければ本望である。

(※このエッセイには現段階で御意見を頂く窓口はございません。悪しからず)

2022年の事

 昨年応援してくださった皆々様、特にこの「エッセイ」をお読み頂いている奇特な皆様方には格別のご恩情を賜り厚く御礼を申し上げます。本年も全力で精進して参る所存ですので、どうか温かくお見守り頂けると幸いです!

 本年はミス・サイゴンを諸事情によりお断りさせて頂きましたので、(随分前からお話ししていたもののその正式回答が出たのがつい最近だった為、昨年は鬼が笑う様な話も出来ず……しかしそのおかげで) 割と自由に使える時間が多めです。年末までミュージカル指揮からは離れる事になりますが、やりたい事は山積みなので少しずつ実現して行くつもりです。

 その一環というわけではないのですが、「武蔵ホール」の配信コンサートを下払さんから引き継ぎ、私森亮平プロデュースという形で一月からほぼ毎月演奏会を行おうとしています。演奏会の形は配信なのか、通常の形態の演奏会なのか、はたまた収録したものを流すタイプのものなのか毎月考えて行こうとは思っていますが、取り敢えず一年かけてやれるだけやってみます。

 ひとまず、3月までの日程と演目は決まっておりまして、以下が詳細です。尚、情報がまとまったサイトはこちら(←クリックしてみてください)です。ご予約等はこちらから。

 

1/17(月) 19:30
亮平 Presents ライブ配信コンサート Vol.1

(出演)
Fl. 下払 桐子 Ob. 篠原 拓也 Pf. 江口 景子、森 亮平
(曲目)
グーセンス : パストラーレとアラベスク
プーランク : エレジー
亮平 : フルートとオーボエと室内オーケストラの為の協奏曲 (二台ピアノリダクション版) 完全版初演 他

【ホールにて生で演奏会をお聴きになりたいお客様は、お一人様3,000円にてホール二階席にご案内出来る準備が御座います。(最大40人程度) お席に限りがあり、万一の事があるといけませんので完全予約制とさせていただきます。お手数ですがこちらまでご連絡くださいませ。

その場合は18:4519:15の間に御入場ください。19:15以降は開演準備の為、入場はご遠慮頂いております。】
(YouTubeでの視聴はもちろん無料です。アーカイブも残す予定です)

 

2/21(月) 19:30
亮平 Presents ライブ配信コンサート Vol.2

「森亮平を聴け!」第一回

(出演)
Vn. 粟津 惇 Vc. 中西 哲人 Pf. 亮平
(曲目)
亮平 : ピアノ三重奏曲第二番 他

【こちらも1月分と同じく、ホールに直接来て頂く事も出来ます。詳細は上記に同じです。】

 

3/12(土) 時間未定ですが恐らく19時開演!?
「プーランクも聴け!」第一回

【※こちらは当日の配信はございません。詳細は追って連絡致しますが、通常の演奏会の形式でお届けしたいと考えております。】

(出演)
Vn. 迫田 圭 Vc. 細井 唯 Pf. 亮平
(曲目)
プーランク : 仮面舞踏会より抜粋
プーランク : ヴァイオリンソナタ
プーランク : チェロソナタ
フランセ : トリオ 他

 

 新年度からはさらに他の事も動かし始めますので、随時当「エッセイ」にて発信をして行ければと思っております。どうぞ御贔屓に!

 今年こそ、なるべく感覚を空けずに更新したい!!

雨が好き

 雨を見るのが好きです。

 願わくば縁側があって、そこに紫陽花が咲くような少しばかりの石庭のある、そう広くないお庭のついた家に住みたいです。そして雨の日は和室の電気をつけずにそんなお庭に降る雨を眺めながらのんびりしたいものです。
 旅先で雨が降っても別に構いません。むしろ空気は雨の時の方が強く感じられる成分が多い気がするからです。これは雪でも同様です、多分限度はあります。そういう雪に出逢ったことが無いもので。

 ただ、雨の中を歩くのは本当に嫌いです。まず、傘をさすのが嫌いです。身長がなまじある分、傘をどうさしても足が大いに濡れます。直径が大きな傘でも同様です。鞄が濡れるのも心配です。
 まぁ、鞄については、普段リュックの事が多いので傘で庇えるのですが、そうすると体の前面のガードが甘くなります。結果的に足だけではなく、下手すれば胸の辺りまで濡れてしまう事になります。

 そもそも傘を持ち歩くのが嫌いです。折り畳み傘はなんだか不衛生な気がして嫌いだし、使った後折り畳むのも得意ではないし、長傘もどう扱っていいか分からない。濡れているので取手しか持てないし、絶妙に持ちづらい長さだし。

 便利という謳い文句の折り畳み傘を何本購入したか分かりません。ワンタッチで閉じられる、と言っても最終的な数段階はこちらでやらなければならず、私にとっては何も便利ではない。折り畳むときに骨を折る事に骨を折っていなかったかと言われると、確かに骨を折ってはいたがそこまで苦痛でもなかった。むしろその先、布部分をピシッと綺麗にまとめて丸める段階が最も折り畳み傘のマズい所なのに。
 傘って、文明が散々発展してきているのにも関わらず、基本的な考え方は変わっていないではありませんか。デカい葉っぱを雨除けにしていた頃と何も変わらない。むしろ、デカい葉っぱの方が、水が垂れる方向がある程度決まっている分、便利なのではないかとも思います。

 

 10数年住んだ家から引っ越したのですが、次の部屋はベランダが広め……広めというか深めと言えばよいのか、、で、雨が降っていてもベランダで過ごせそうなのです。それが楽しみで仕方ありません。
 そして次、雨が降ったらそのベランダにケルヒャーをかけるのです。晴れの日にやったら近隣の方に水しぶきが迷惑でしょうから。

 私、オリバーは、全乗りです。
(情勢的に「体調に余程の事が無い限り、ですが」と付けておいた方が良いのでしょうか…?)

 

あまり纏まらない文章となってしまいました。最初のほうで「お庭」というワードを出してしまい、「お」が要らないんじゃないのかと思いつつ「庭」だとなんだかニュアンスがなぁ、、、とか思っていたせいかもしれません。

百貨店や空港に行くと、何故か鞄のコーナーに足が向いている。

そういうことが、時々ある。

今家にある鞄のラインナップは、いつでも思い出せる。

ただ、、、

ただ、、、今使っている鞄の何かが違うという感覚だけが、使っているといつも襲ってくる。

ずっと鞄を、、、鞄を、、、探している。

 

そういう気持ちに取り憑かれなくなったのは、友達のチェロ弾きと国立辺りのアウトドア用品店に行ってからです。

私はそこでA3の書類が楽に入る大容量の軽いリュックを発見いたしまして、それ以降はよほど荷物が少なくない場合、大抵それを使っています。

今年大胆に作り替えたとは言え結構な分量だったレミゼのスコア(A3、しかもご丁寧にケース入り)を入れ、パソコンにiPad、水筒や何かしらのゴタゴタを詰めてもまだ他のものが入る余裕を感じさせて、しかもどこか軽い気がするこの鞄。

聞いた事あるメーカーのものだから何となく信用できるし、水にも強そう。

後はそんなリュックを背負って長時間歩き回っても汗染みが出来ない黒い服があれば最高なんだけれど。

それだけ。

 

おぉ、大分短く済んだぞ。これでこそ「エッセイ」の尺ではありませんか。