耳の位置

 コロナ禍に突入してからも、幸いな事に指揮の本番の時はマウスシールドもしくは素顔で振る事が許されていたので、「今回はマスク着用でお願いします」と言われた時の絶望たるや、筆舌に尽くし難いものでした。
 息がしづらいのはまあ別に良い、、、良くないけど良いとして、とにかく耳が痛いのです。比喩表現ではなく実際に。耳の上側の付け根ですね。付けると楽になるアイテムをいくら使ったとしても最終的に長時間装着していればそこは結局痛くなるのです。

 そもそも眼鏡をしていた人生だったので、顔周りには何も付けないのが理想です。だからコンタクトを着用した時は感動したものでした。

……余談ですが、伊達眼鏡をしている人にはキレそうになります。お洒落?お洒落で鼻や耳に負荷をかけているのですね。お洒落は我慢、みたいな格言も聞きますから、そういう事ですか??

 マスクに話を戻しますが、耳の上側付け根が傷み始めたなぁと感じてしまったら、もうマスクを取るまでは痛い。本番で集中していたら別ですが、我に帰ると激痛が。
「なんでマスクを付けて振らなきゃならないんだ」という気持ちよりも、「何故こんな位置に耳があるんだ」という怒りが込み上げてきます。位置が位置ならマスクをかけておく場所なんてなかったはず。

 耳って本来の用途以外に使われすぎていませんか?主に物を掛けておく出っ張りとして。

 

 エッセイを名乗るにはこのくらいの尺が理想的なのでしょうか。

武蔵ホールの事と、今後の登板スケジュール

 折角自分のページがありますし、よく考えてみたら(みなくても)公表しない理由がありませんのでこっそり登板スケジュールを書いておきます。公式に発表されない理由が何かしらあるのかもしれませんが、過去にごく一部の奇特な方からスケジュールを訊かれたにも関わらず「教えて良いのか分からないのでノーコメントで」とか答えてしまっていたことが心残りで。。

6/1〜3
6/13〜18
6/27〜7/1
7/5〜11
7/18〜7/26
8/4〜15
9/6〜9

 上記期間の全ての公演に乗る予定です。レミゼは今期で最後。丁寧に振らせて頂く所存です。

 

 これに乗じてもう一つ。
 明日、5/31の19:30から、若しくはその後アーカイブに残るはずなので結局いつでも観られるのですが、下払桐子さん×武蔵ホールのライブ配信シリーズ第六弾がございます。無料です。
 今回はフルート、ファゴット、ヴァイオリンのトリオということで私の出番は無いのですが、私の作品が一曲演奏されます。例によってこの編成の為の書き下ろしで初演です。大変素敵な御三方による割と普通とは言えない瞬間を孕む楽曲となっておりますが、果たしてどのようになるのでしょうか。

 私も家からタダで観ると思います。無料ですので。リアルタイムで観るかどうかは置いておいて。。笑
 この演奏会の何が良いって、電波状態が良ければいつでも何処でも観られるって所ですよね。YouTubeなので面倒な手続きも要らないしタダだし。曲毎の頭出しも簡単。聴きたい回の聴きたい曲がいつでも聴けるシステムになっております。不肖私も「中東の笛」を何度聴きに行ったか分かりません。不思議なもので、ダウンロードしてしまえば(もちろん普段から正当な手段でやってますよ)電波すら必要としないのに、割と手が届くところにあると「聴きに行けばいいや」となるもんですね。

「投げ銭ってシステムがちょっとね、、、」なーんて言って「だから観られない、もしくは観ない」みたいに仰る御仁もたまにいらっしゃいますが、努努忘れる事の無きよう。完全無料です。笑
「投げ銭」は、気が向いたら、くらいの事で、主眼は演奏を聴いて頂き、映像を見て頂く事にあります。
 こちらから「観たのに投げ銭してねえじゃねえか」とか分かるようなシステムもございませんし、中の人たちにも投げ銭目当てでやっているような方はおらず(これは一人くらい居てもいいのでは、と思わなくもない。。笑)、実は投げ銭のサイト自体もそんなガツガツしたものではありません。実に皆さんそれぞれがそれぞれの興味や趣味を原動力に、全力で楽しんでいます。
 もちろん武蔵ホールのような良質なホールが無くなってしまっては困るので、個人的には全力で応援しております。配信自体も回を重ねるごとにクオリティが上がっていて、今後どうなっていくのかが楽しみで仕方がありません。

 

 私見ですが、割と「配信」が当たり前になってきて、「客数入れられないなら配信すれば良いんじゃね」というような至極真っ当な意見があります。その通りだけど、そんな簡単な話でもなく、かと言って「直にその場でパフォーマンスに接する方が良い、演奏は現場で聴かれるべき」とも最早言い切れなくなって来ました。
 前述の「中東の笛」は、乱暴に言えばオーボエソロと伴奏、と言った形態の曲で、単純にオーボエの負担が半端ない曲です。演奏会直前まで配信のプログラムに入れるか悩んでいて、結局当初の予定では「演奏会後に映像資料として撮っておき、何らかの形で配信する」という結論に落ち着いていたのです。
 本編が終了し、下払さんと進藤さんが演奏会や投げ銭関連のお話をして終了という流れで、トークに関係ない篠原夫妻と私はホールの床に寝転んだりして演奏後の心地良い余韻に浸っていたのですが、お二人のトークが終わりに差し掛かる頃に、当の篠原氏が「中東、ここでやっちゃいません?」と私に。
 こちらとしては「篠原くんがいいならそりゃあ」だったので、結局生配信で演奏してしまったのですが、後から聞くと「やるなら今だと思った」と言うわけです。誰かに聞かれてる状態の方が集中すると言う意見には大いに賛成です。ただ、その決断が実際お客様の前での演奏会の舞台袖で成されるかと言うのは微妙でしょう?

 実は私、配信の方が緊張します。と言うと語弊がありますね、、何と言えば良いか、、配信の際の緊張は、得体が知れないと申しましょうか、本当に誰が聴いているか分からない。生の演奏会だと、少なからず自分を知ってくれている人が来てくれているので少しでも良い状態のものをというような気持ちが出るのに対し、配信はマジで誰がどういう状態で聴いているかが全く分からない。
 譜面を見ながら聴いているかもしれない、俺の事が大嫌いな人がアラ探しをしようと躍起になっているかもしれない、浜辺でアベックが雰囲気作りのために流しているかもしれない、「今このピアノを弾いてる奴が間違える毎に10万円払え」と脅されている人がいるかもしれない。脅されてる人も「ヒイイイイイイ!その『間違える』ってどのレベルまでですか!?音のミスだけじゃないとなるとそんなの不当だ!こいつが和音丸ごと間違えたら一音につき10万ということですか!?」とか言うかもしれない。ロシアの審査員は厳しいので「あーっと、ビールマンスピンに減点が付きましたね」「森はスピンからステップへの連携がおざなりになる時がありますのでフリーではその辺りも注意せねばならないでしょう」なんて言われたり。。
 大袈裟でも何でもなく、未知数の緊張感に襲われます。それが割と自分にとって悪くなく、その場の空気感で誤魔化せないことを知るという大きな気付きに繋がりました。

 それだけではありません。「配信だから出来る事」もあります。映像とのコラボレーションも可能でしょうし、生では遠目にしか見られない奏者のアップについては既に見られるようになっています。デメリットを探せばいくらでも出てくるかもしれませんが、逆も然りです。

 どんなマイナスでもプラスに変換してしまうエネルギーが満ちている下払×進藤組。この配信シリーズは世の中が元に戻っても続いていくのではないかと考えています。というか続けて欲しい。月一のペースで曲を書いていいなんて何と言う幸せ。
 そう近くない将来かも知れませんが、また気軽に演奏会を行えるような世界になってきたら一度、武蔵ホールでの演奏会に足を運んでみて欲しいのです。その時に、武蔵藤沢駅という決して便利とは言い難い駅(ホール自体は駅の目の前なので、武蔵藤沢駅まで来たらもうそこが武蔵ホールみたいなものです。ぎょうざの満州もありますよ!三割「満州」目当てでも良いです。)に来て頂く原動力となるほどの興味を持って頂く為の重要な段階です。

 でも、、もし、誰か俺に15億円寄附してくれたなら、私はあのホールをビルごと買い取ることが出来るかもしれない。
 そうしたら、ホールは5階なので階下を居住スペースにし、風呂上がりに身体を拭くのもそこそこに毎晩あの響きの中でピアノを弾くのです。

 

 風邪ひくだろうなぁ。

好きな調のこと

 先日、外国の超トップスター御二人の伴奏をさせて頂くという、とんでもないおこぼれを頂戴した時の話。(※英語の訳し方には大いに間違いがある事を重々ご理解くださいませ!)

 ある空っぽのテーブルや椅子の曲で、「日本ではこの曲はBフラットでやってるよね、でも僕はAでやってたんだ。より暗い感じがして良いよね」というような話題になりました。その曲を歌った彼は、、、先に歌った彼は、転調した後のテンションの上がる感じも好きなんだとか。確かに転調した先がC#になると緊張感が否応なしに高まるのは弾いてても強く感じました。

 僕も「Bフラットは割とセンチな感じになって日本人の僕としては、ちょっと日本人の代表として言わせてもらうけど、それはそれでアリだと思う。でもAで始まるのも『空っぽ感』があって好きだね。そういう意味では、Bフラットで始めると転調先がDになって深刻さが増すという見方も出来るから、選べと言われると困るね」と返すと、彼も、
「そうなのさ、Dで終わって行くのも良いんだよ。でも
と言いかけたので、後は引き継いで
「でも、公演では次の曲が同じコードで始められるから僕が選ぶならAかな?ターニングからのコネクションも無理がないし!」
「その通りなんだよ。だから今回はAで頼むよ」

 なんて会話をしていたら、
「時に、モリサンは、どのキーが一番好きなんだい」と不意に訊かれました。
僕の好みの調を問うているのです。
 今は変イ長調の気分だと答えると、
「イイね!煌びやかな調だ、ゴージャスな気分になるね」と仰いました。

 まず、くれぐれも私のパートの台詞に関しては決してこんな流暢な形ではなく、実際は泥沼からぼた餅を取り出したような英語でやり取りをしていたという事はお忘れなく。こんなの(その場には居なかったけどリハーサル中は念の為訳して貰ってた)通訳さんに見られたら殴られてしまう。まぁ、そんな事は置いておいて、、ねぇ。こんな事聞かれた事あります?
 オケピに入って、初対面の方との会話の糸口を掴もうと「好きな作曲家誰ですか」と聞いてドン引きされる事があります。質問内容ではなく、本当に一度も話した事ないのに急にそんな質問をするからだと思われます。そういったノリで「好きな調はありますか?」と聞いた返答の聞き返しで同じ質問をされた事はありますが、相手からこんな事訊かれる日が来るとは、と嬉しくて堪らなくなりました。さらにはその調性に対する彼の印象を彼の表現で見せてくれる。

 

 異名同音調を含めて24調のそれぞれの性格を、その本の著者がそれぞれの主観でミニコーナー的に紹介している書籍は数多存在します。各調性の代表曲を挙げて「英雄的だ」とか「耽美だ」とか「天国的だ」とか言うのです。もちろん、音楽の感じ方なんて最も個人個人でのバラツキがあるものの一つだと思っているので、そういう考え自体には大変共感出来ますが、それを無闇に書籍で紹介する事については懐疑的です。そう捉える事は大賛成ですが、若干偏りのある情報を学習者に植え付けるのはまた違うと考えています。

 もしも「ロ長調は10歳までに二週間以上の入院もしくは骨折をした事のある人に響く調です」とか「ハ短調 すぐ出る。南東に有り。」とか「ト長調は午年の射手座のあなたにぴったりの調です。ラッキート長調はモーツァルトのKV199!お出掛けの際は折り畳み傘を持つと良いかも」とか書いてあったら私はそっちを支持したい。
 因みに私は、ブラームスは朝起き抜けにピアノに座って取り敢えずロ長調の一度の和音を弾いていたと思います。これだって個人の意見ですからね、人によってはニ短調だと言うかもしれないし、ハ短調だと言うかもしれない。まさかブラームスは起き抜けにピアノに触ったりしないだろう、という意見だって同じ感想として成立するもの。

 楽曲に対する印象もそんなもんだと考えます。参考までに、我ながら特殊だと思う私のクラシック曲に対する曲がった印象。

・小さい頃に肝炎で入院した時に、病院に向かう車の中でグリークのペール・ギュントの「朝」が流れていたので、未だにその曲を聴いても良い気分がしません。あんなにカッコいい映画みたいな和声進行をしてるのに、と思います。
・「舞踏への勧誘」を、まだ漢字もよく分からない頃に勝手に「無断での勧誘」と勘違いし、未だに楽曲自体に対する軽率な印象が消えません。「勧誘」は読めたのに何故。
・「小フーガ ト短調」は「あなたは髪の毛ありますか」だし。
・ジョコンダの「時の踊り」は実家の目覚まし時計の何とも不安を煽る音色の拍節感の麻痺した状態で認識していたし。(これは最近克服しました。むしろ疑問に思っていた事が氷解して、スッキリした系の想い出です。)
・カヴァレリア・ルスティカーナの有名な間奏曲を聴く度に、西田敏行さんと白い犬が車の中で生活している、という漠然とした画像が頭をよぎります。一時映画の予告編でやたらこの曲が使われていたせいだと思います。
・「フィンランディア」はドラムの打ち込みの8ビートが入っていないと物足りなく感じます。フックトオンクラシックスのおかげです。
・シューベルトのピアノ五重奏曲「鱒」を聴くとACを思い出します。阪神淡路大震災の時にACCMだらけで、毎回流れていたからです。当時は「公共広告機構」と言っていた気がする。
・ドヴォルジャークの新世界の四楽章は小学校四年生の時に教室の足踏みオルガンで湯村くんと連弾した思い出です。スコアを見ながら、一音一音湯村くんにメロディを教えて、その代わりに俺はJリーグのチームを覚えたなぁガンバ川崎とかモンテヴェルディ鳥栖とか。未だに覚えてるもんなぁ。これはプラスの思い出ですね。

 急に過去のナーヴァスな部分を曝け出しましたが、このノリで、さらにその時々にそれぞれの調性に対する印象があります。割と日替わりかもしれません。どんなにバリっと空が晴れてても嫌な用事がある日だと鬱陶しいように、家から出なくていい日に降ってる雨を眺めると何だか心が落ち着くように。例えが分かりづらいですが、印象なんてその時々で変わりますやろ、という事を主張したいのです。
 脱線が酷いのは御愛嬌。詰まる所、そういう会話を出来る事の素晴らしさ、だなぁと思ったわけです。

 

 会話の部分ですが、念の為、実際に私が発した英語に近いニュアンスで書き直しておきます。

私「私は、これは私が日本人だからかもしれませんが、Bフラットも少しセンチメンタルな感じがして、嫌いではありません。しかし、Aで始まるのは『本当の空っぽ』と私に感じさせる、それです。私は、Bフラットで始めて転調した後にDになります、という事が、より深い感情を表現する事を可能にすると考えられるという意見を持っています。私はそれらを選べません。」
彼「そうなのさ、Dで終わって行くのも良いんだよ。でも
私「でも、フルのミュージカルの時は、M27の頭がC#マイナーで始まります。それは、Aで始めたその曲のエンディングの和音と同じなので、私はAから始めることを選びます。それに、ターニングからのコネクションを考えた時に、スムーズなのはAから始めるそれです。」
彼「その通りなんだよ。だから今回はAで頼むよ」

 

こんなもんよ 私の英語 笑っちゃうわね 本当

中國&中東

 割と隙間時間が多いので、パソコンを開くことのできるタイミングで自作のオーケストラ編曲を行っています。
 フルートソロの為に書いた「中國の笛」とオーボエソロの為に書いた「中東の笛」をそれぞれオケバックに。誰に頼まれているわけでもなく、もともとこれらの曲が書かれた経緯と同じく完全なる「趣味」の領域です。それぞれ個人的には「小品」と胸を張って言える、短めでも色々詰められた作品です。

「中國の笛」は私が中国を旅行した時の思い出を書いたもので、九龍という町の提灯祭りの描写をメインとしています。もちろん、中国に行った事はありませんし、九龍という町があるのかも定かではありませんし(これは多分あるんでしょうな)、そこで提灯祭りが行われているかも知りません。
 真っ赤な提灯、人力で動かされる巨大なドラゴン、カレンダーやなんかで見る嘘みたいな赤が支配する景色が、これ本当にあったの。嘘だと思うでしょう、嘘だもの。でも行ってはないもんだから本当かもしれないの。
「中東の笛」はソロレパートリーが異常に少ないオーボエに新風をと思って思案していた時に出来た副産物で、サッカーとは無関係の楽曲です。かの有名な「風笛」に真っ向勝負をかけられるのでは、と踏んでいるアクの強いもので、勝手な中東の音楽に対するイメージが跋扈しています。

 以下は編成について。

「中國の笛」は常識的な二管編成、クラリネットに関してはB管一本バスクラ一本ですが、特に異常とも言えないでしょう?
 金管はホルントランペットそれぞれ二本ずつ。ハープが一台というのが若干のネック、かもしれませんが、私の見た中国、そして四千年の歴史を表現するにはハープ一台くらい許して頂きたく思うのです。
 弦楽器も普通に五部(多少div.が多くなっております)、その中からヴァイオリンとチェロに一人ずつソロに回って頂きます。胡弓や馬頭琴の音色を模すべく練習用の木のミュート(値段は全く高くはないのでご容赦)を装着した状態のソロヴァイオリン、ソロチェロが一人ずつ。
 例えば、高校やなんかのオーケストラであっても演奏可能な仕上がりになりつつあります。フルートの手軽なアンコールピースにもうってつけの「中國の笛」のご紹介でした。

「中東の笛」は打って変わって、協奏曲形式のものとしては少々異色な編成に。
 木管はフルート、アルトフルート一本ずつ、オーボエ族はソロとぶつかるので無し、A管クラ二本にバスクラ、ファゴット二本にコントラファゴット、(サックスも入れる気でしたが、オケスタに載ってしまいそうなフレーズを書きそうで、そうなったら誰かしらから恨まれそうでやめました。)
 金管はホルン三本、トランペット二本、トロンボーン三本と常識的。 後は、低弦楽器の頭数が少し必要になりそうです。ハープは二台、チェレスタも入ってます。(本当は合唱も入れたかったのですが、密になるのでやめました。)
異色な編成と書きましたが、こう並べてみるとそうでもありませんかね。。。
ハープ二台にチェレスタの時点で実演される可能性を自分から叩き潰していってるようなものですが。

 しかし、趣味だから良い。40年後くらいに事故みたいな形で演奏されるといいなぁ。

 

 明日はマイ・プレビュー初日なんです。

山路さんのこと

 六角精児さんについての話が途中でした。せっかくなのでもう一息。

 昔から、テレビとそこまで縁のない生活でした。「流行りの〇〇が」と言われてもピンと来ないことの方が多く、そのせいで周囲の話の輪に入れなかった、などと自分の付き合いの悪さの言い訳にも大変便利に活用させて頂いております。
 小さい頃は勉強や練習でテレビを見る事を半ば禁じられていたようなもので、それでも隠れて何とか見ようとして試行錯誤したものでした。暖かくなったブラウン管の熱や、画面の静電気? (正確に何と表現するか分かりませんが電源切った後に画面に触るとパチパチっと言うアレ) やなんかでバレて叱られる事もしばしば。
 今振り返れば高校生あたりでは「テレビが見たい!」と強く思う事は無くなったように思います。(恐らくその代わりにパソコンでDVDを観ていたと思われる)
 上京して自由にテレビが見られるようになったら今度はドリフと相棒にハマり、一日中DVD (当然ドリフは生ではありませんし、相棒はBOXでございます) を付けっぱなしで過ごしていました。もうそれは「テレビを見ている」とはとても表現出来ず、テレビはDVDと「笑点」と「ちびまる子ちゃん及びサザエさん」を録画するだけの道具になっていました。

 その後、Blu-ray内蔵型の大きなテレビを気の迷いで購入しましたが、震災発生時にしばらくNHKを付けっぱなしにしただけで、HDは笑点サザエさん笑点サザエさん笑点サザエさん笑点サザエさん笑点サザエさん (ちびまる子ちゃんは録るのを忘れていました。そして時期によってはこれに相棒が挟まります) にやがて埋め尽くされ、待機電力を食うだけの大きな置物になってしまい、その後コロナ禍の初期段階でも少し付けっぱなしましたが、やがて二台目のピアノがうちに来るタイミングで手放しました。
 結局DVDはパソコンで観られるし (そういえばBlu-rayは観られない。今気付いたけど勿体無い。観る方法は知っているけどそこまででもない) テレビを一旦離れれば次の番組の情報も電車の中吊りやネットニュースの隙間にしか入って来ないので、そもそもの興味が薄れてしまうのですね。

 何が言いたかったんでしたっけ、そう。六角精児さん。

 相棒にハマっていたので鑑識の米沢さん自体はもちろん認知はしていましたが、ラジオで「六角精児さん」という方を認識した時にはまだそこが繋がっていませんでした。つまり米沢さん=六角さんとは思っていなかったのです。当然その日のうちに知る事にはなりました。放送内でも「米沢守役の」と紹介されていたとは思うのですが、ヒトの認識というのは怖いもので聞き飛ばしてしまっていたという事になるでしょうな。(米沢さんの口調でどうぞ)

 相棒の話題でもう一つ大きな脱線もあるのですが、あくまで「読みやすい尺」を目指しているのでまた何処かで。今は六角さんです。

 例えばバンドや俳優さんや作家さん、もちろん作曲家もそうですが、誰かに「ハマる」というような状態になる時って、必ずその人の作り上げた何かに夢中になっていると思っています。
「その人の人となりにハマる」という事が本質的に起こるのは、基本的には直接会っている人に限られてくるというのが持論なのですが、私の認識の甘さが招いた幸運もあり六角精児さんに関しては「とても良い声と語り口で赤裸々に自己を語る謎の人」という出逢い方を出来たので、今でも私の六角精児さんに対する興味はそこにあります。どこまで行ってもどんな人なんだろう、と。

 直視出来ない程に緊張しながらも数日間、遠目での会釈を交わし、マスク越しにこの想い伝われ!と言わんばかりに笑顔を投げかけるも目の前のアクリル板に反射した自らの上半顔は乾燥ワカメが半乾きで何枚も張り付いてるアーモンドのようでゲンナリ。
 そうこうしているうちに六角さんから不意に「ラジオを聴いて下さっているお聞きしましたが、何のラジオを?」というお声がけが。当然細かいニュアンスの違いはありますので「六角さんはそんな物言いじゃない」という物言いはご勘弁。

 思えば、稽古場に入った瞬間から六角さんのファンである事を音楽班に撒き散らしていたのがマズかった。良かれと思ってその事を伝えてくれた事には大感謝。ただ、実はラジオを定期的にやられていた頃にはそれを聞けてなくて、今やそれを聴く手段も無く (今調べたら俺が産まれた頃には毎週火曜日にラジオをやられていたようで、、何と言えばよいか、、) 「安住紳一郎の日曜天国」にはゲストでたまに呼ばれていた回を何度も聞いた (誤解のなきよう!Podcastで何度も、何度も聴きましたコレは。笑)、というだけなので「ラジオを聴いていた」なんて表現をしちゃいけない筈だ、、などと思いながらも正直にお伝えするしかなく、舞い上がった頭で何とか日本語を捻り出して結局自分でも何を言っているか分からないような返答にに対しても大変温かい御反応。
 ストイックにお稽古に取り組んでいらっしゃる時の真剣な眼差しや、演じていらっしゃる時のアブない目とは打って変わったその御様子に、私のファン心はさらに熱くなりました。太陽の矢に貫かれた気分です。今でも益々六角さんの好印象は天井知らずに上昇中です。

 調子に乗ってエッセイ集に掲載されていたお話のその後を恐れ多くも聞いたりしてしまい、丁寧にお答え頂いたその言葉の端々に今はない物事に対する様々な「あはれ」が滲んでいて、たまらなく幸せな気分になりました。
 ジェリー藤尾のさらに詳しい話を聞いたり、「人は何で酒を飲むのでしょう」が大好きだという事をお伝えしたり、それでなくともまたお話ししてみたいのですが、もう劇場に行くとそう簡単には会えないんだろうなぁと考えると、それはそれでまた感慨深く思えてしまうこの自らの気持ち悪さ。

 人生の長さだけ取っても自分の倍近く経験されているという事を改めて認識した今でも、チャンスがあればお酒や何かでご一緒出来るような日が来ればいいのになぁと、この厳しい時代に切に思うのです。

 

 追記。

 あれやこれやしている間に劇場入りを致しまして、久しぶり (と言っても数日のはず) に六角さんを拝見しました。初めてのオケ歌合わせで自由自在に声を操る様、歌の合間に入る絶妙且つ自然な人間味、、私感動して少し泣いてしまいました。本当に格好いいんです。。
 そう思うと同時に、やはり自分のいる場所からはまだまだ遠い人なんだなぁと改めて痛感し、さらなる精進を心に決めた次第です。
 私と山路さんは果たしてご一緒できるタイミングはあるのでしょうか。

嘘プロフィールを作る

 プロフィールを盛るのが苦手だし、好きではありません。
 もっとも、そんな輝かしい経歴は無いのですが、例えば師事した先生方のお名前を書き連ねるのにも抵抗があります。まずどう書くのが正解なのか分からないのが一つ、「お世話になった先生」という縛りをどこまでにするかと言うのがもう一つ。

 

「お世話になったなぁ、、、」と思う先生は何人もいるのですが、この無精で捻くれた性格のせいで連絡が滞っていたり、iPhoneが車に轢かれた際に連絡先が日暮里の路上に散らばったままになったり、そもそも連絡をする術を知らなかったり、無闇に連絡して媚を売っているように思われやしないかと思うと勇気が出なくて送信ボタンが押せなかったり。。。全部音楽関連の先生方です。本当にごめんなさい。
 そんなお世話になった先生方を並べて書く場合に、単純に五十音順で並べて「各氏に」と付ける事が憚られる気がするのです。一時期は、お気に入り順に並べてみたりした事もありましたが当然そんな事するのは御法度。決局いっそ全員書くのをやめようと思い至るのでございます。

 

 プロフィールに書いていいのか困るシリーズでは、例えば小学校五年生の時の担任の先生だった「ツダ先生」には大変お世話になりました。ツダ先生は私のポップスやロックの耳目を開いてくれたり、初めて人前で短いアドリブを取った時にギターで伴奏してくれていたり、嘉門達夫氏を教えてくださりました。思えば現在の仕事に繋がる事をかなり教わっています。本当に、もう一度会えるものならば会いたいのですが、唯一住所の情報があった年賀状を大切に持ち歩く余り、二度目の引越しで行方が分からなくなってしまいました。

 

 あと地元のレコード屋のオヤジ、オヤジなんていう柄ではありませんが「アートレコード」という、クラシックを中心に扱っていたレコード屋の「シゲミさん」からも膨大な知識を頂きました。残念ながらもうお会いすることはどうしても叶いませんが、つくづく何故徳島に居たんだろうという人です。
 アムランが弾いたショパン=ゴドフスキーのエチュード編曲の、怪物のような盤が出たというので購入して帰って早速聴き、翌日その興奮を伝えに行くと「おっちゃんみたいにあんまり詳しくない人にも、パッと聴いて具体的にどこがどうなってるか知りたいから解説を書いて欲しい」と頼まれた事がありました。当時の自分は面白がって書き散らして読んでもらったところ、大変感動してくださったのをよく覚えています。(「おっちゃんみたいにあんまり詳しくない人にも」という表現、当時の自分はちゃんと否定したのでしょうか、、、)
 何処の馬の骨とも分からぬ高校生の書いた駄文 (割とちゃんと書いていてしかも楽しい文章けれどもどう考えても高校生の文体ではなかった) のコピーを付けて割と結構な枚数をセールスしたらしいと聞いて嬉しい反面一抹の不安も感じていました。。たまーにその原稿が出て来て読み返すのですが、その度に「次は行方知れずにするまい」と保管するにも関わらず今現在行方は分かりません。

 

 他にも色々、ラフマニノフのピアノ協奏曲第三番を激推ししていた時分に、「先生は二番が大好きなんじゃ」と教えてくれたM先生。王道を迷わず好きと言って良いと実感させられた瞬間でした。
 古典の授業中に作曲をしていたら、不意に回答するように当てられてしどろもどろになっていると「森はまた作曲しとったんやな」と見逃してくれたM先生。
 そう言えばピアニストへの道を断念する決断をした時に、ピアノから完全に離れないでいる事を決めたのもM先生でした。この三例は同一人物。

 

 思えば色々な瞬間に色々な人から大事なお言葉を頂戴しているものです。
プロフィール、本当に難しい。だったらいっそ全部嘘にしてみれば良い。

 

 

森 亮平

 

 1992103日群馬県生まれ。祖父は指揮者でもあり作曲家、祖母は歌手で、ピアニストの両親を持つ。
 幼少の頃から祖父の影響で溶接を始める。中学校入学と同時に前橋タングステン (現・前橋重工) の見習いとして工場に通い始める。中学2年の夏には被覆アーク溶接を任されるようになり、その技術は前橋タングステンを「日本のゾーリンゲン」と呼ばしめる程の高さであった。

 高校入学時には既に国内外5企業との契約を交わしていたが、17歳の春に失恋のショックで全ての契約を解消。たまたま入った喫茶店で流れていたショパンを聴き、自分もこんなに人の心を打つ音楽を作りたいと決意し、陶芸に没頭。溶接の技術を陶芸に持ち込むという大胆な発想で第三作目の青銅器「モロッコの暴れ馬」がアゼルバイジャンで行われた国際陶芸コンペティションで審査員特別賞を受賞する。

 青銅器は陶器ではないという批判をものともせず、以降も斬新な発想での作品づくりを意欲的に続け、代表作「心で見る陶器」を発表。一世を風靡する。
 この時の発言「私はこの作品を作ろうとして作ったわけではない。実際に何も作っていないのだ。しかし私がそこにあると言ったらあなた方はそこに何かを感じてくれるという事を私は知っているのです。」がタイムズ誌の表紙を飾った。

 39歳で没する直前に「私は本当は音楽がやりたかったのかもしれない」と言い遺し、52年の短い生涯を終えた。
 現在三重県南インド村芸術大学陶芸家非常勤講師。

エッセイのこと

「エッセイ」というジャンルに早くから触れていたほうだと思います。
 さくらももこ先生や伊集院光様に始まり、森下典子さんや三浦綾子さん等、割とジャンルを問わずに一度夢中になってしまえばその人の作品をなるべく読みたくなる性分です。敬称が滅茶苦茶なのは御愛嬌。

 さらに言えば、興味を持った人について知りたい!と思った時には、その人名義の本を探してみる事が多く、そこからさらに興味が増したり、或いはそうでなくなったりする事が多いです。

 

 安住紳一郎さんのラジオを熱心に聴いていた頃に、六角精児さんがゲストにいらっしゃった回がありました。その時の印象があまりに衝撃的で (確か奥様と喧嘩されたお話を、本当に困っていらっしゃるご様子なのにどこか軽妙な語り口でお話しされていたはず) そこで紹介されたエッセイ集を買いに走り、その日のうちに一気に読んだ記憶があります。

 ちょうど読みやすい尺の文章に絶妙な後味。隙間時間にも読めるし、地方に行った時なんて部屋を暗くして部屋の窓を開け放ってこれを読むのが至福の時。御手洗いの友にも、、なんて書くと今や怒られますね。携帯電話にはトイレの便座の10倍もの雑菌が付着しているそうですよ。

 

 脱線しました。エッセイ集で綴られていた六角さんのバンドのCD (こちらは御本人には申し訳ないことですがiTunes storeで購入致しました、、) もしっかり拝聴し、機会があったら (その楽曲のカヴァーを) どこかでやりたいなぁ、、と思ったりしていた所、そんな六角精児さん御本人と同じ現場でお会いする事に。
 御本人を前にすると、普段から口下手な自分の口がさらに開かなくなるどころか、一人挟んで左隣に座っておられるそちら側を見られないほどの緊張ぶり。。そのあたりの話は次まで取っておくとして、、、
 折角なので六角さんの人となりをもう一度おさらいしておこうと、久々に読み返してみてもやはり面白い。新しい方のエッセイ集はKindle版も出ていたので、いつも手元に置いておきたくて新たに購入しました。
連載されていた当時の様子は分からないので、毎回どういった感じでテーマを決められていたのか分かりませんが、その時々で様々な話題を自由に書かれている様子だと勝手に感じた時、大変な憧れが自分の中に生まれたのを自覚しました。

 

 だから、というわけではありませんが、自分もそういったものを書いてみたいと思いまして始めますのがこの不定期な日記兼エッセイ兼覚え書きでございます。

 普段から自作のプログラムノートが無駄に長くなる辺りからも、文を書くことは嫌いではないので、駄文乱文ではありながらも、自分のホームページ内に留めおく位ならまぁ良いかと勝手に納得して、徒然なるままに。