噓プロフィール

2020.6.2

1992103日群馬県生まれ。祖父は指揮者でもあり作曲家、祖母は歌手で、ピアニストの両親を持つ。

幼少の頃から祖父の影響で溶接を始める。中学校入学と同時に前橋タングステン(現・前橋重工)の見習いとして工場に通い始める。中学2年の夏には被覆アーク溶接を任されるようになり、その技術は前橋タングステンを「日本のゾーリンゲン」と呼ばしめる程の高さであった。

高校入学時には既に国内外5企業との契約を交わしていたが、17歳の春に失恋のショックで全ての契約を解消し、たまたま入った喫茶店で流れていたショパンを聴き、自分もこんなに人の心を打つ音楽を作りたいと決意し、陶芸に没頭。溶接の技術を陶芸に持ち込むという大胆な発想で第三作目の青銅器「モロッコの暴れ馬」がアゼルバイジャンで行われた国際陶芸コンペティションで審査員特別賞を受賞する。

青銅器は陶器ではないという批判をものともせず、以降も斬新な発想での作品づくりを意欲的に続け、代表作「心で見る陶器」を発表。一世を風靡する。

この時の発言「私はこの作品を作ろうとして作ったわけではない。実際に何も作っていないのだ。しかし私がそこにあると言ったらあなた方はそこに何かを感じてくれるという事を私は知っているのです。」がタイムズ誌の表紙を飾った。

39歳で没する直前に「私は本当は音楽がやりたかったのかもしれない」と言い遺し、52年の短い生涯を終えた。

現在三重県南インド村芸術大学陶芸家非常勤講師。