Vamp 巴里ノ一茶音楽考

2026.1.23

 ミュージカル特有の文化と言って良いのかもしれません。Vamp。
 基本的には、お芝居から歌に繋がる時に「歌がどこで入っても良いように」という名目で、ある小節を繰り返す構造のことを言います。

 大縄跳びを想像して頂ければ分かるかも知れません。いくら構造を理解していても入ったり出たりするのは少し緊張するでしょう?笑

 Vamp小節を抜ける際、歌と一緒に抜けるというのが最も一般的なVampではないでしょうか。これが、指揮だけしていても難しい。
 役者さんの呼吸が大前提ですし、どっちに主導権があると明確に決まっているわけでもない……何ならあっちかも(笑)。「抜けるかな」 (Vampは基本的に「抜ける」ものです) と思っても抜けなかったりするし、まだだろうと思っても先に抜けられたりもする。
 それが鍵盤を弾いていれば、手がもう一本または二本足りないのです。とは言いつつ、弾いていればどうにでも演奏出来る所もあるし、「次弾かなきゃだから各自の判断で!」なんて責任放棄に見えかねない事も許されたりするので(本当は許されてなかったら関係各位の皆様には申しわけのしようもございませんが)、どちらの方がやり易いなんて事は一概には言い切れないのです。

 

 絶賛公演中の「ISSA in Paris」で、Vampの構造に拘ったという話なのですが……

 お芝居の間は日々変わる為、ある程度は仕方ないとは言え、明らかに歌が入ってくるのを待つような音形が続くと気になってくるものです。
 管理する側からすると一番楽なのは「繰り返していて歌が入ってきたら最終回」という形なのですが、得られる安全の代わりに、失うものも大きい場合があります。歌が入る瞬間に伴奏も変わるというのも筆舌に尽くしがたい快感を得られるのです。(成功した場合に限る)
 それに、歌がアウフタクト(弱起……「『ポン』に向かうための『ジャン・ケン』のこと」)で出ていればまだ分かりやすいけれど、そういう場合だけではありません。
 書く側に立つと、それが「上手く抜けたい」よりも「明らかに待っている」となるべく思わせたくないと考えるようになりました。
 下手すると「Vampだから大丈夫」などと安全策のように捉えられがちですが、こちらとしては尺が決まっている事以上に有難いことはないのです。笑

 二幕の、いわゆるM16の「我らは闘う」では、経験上かなり攻めた作りのVampを設けました。
 本来の音楽の変わり目よりも前にVampを設置し、しかもそのVamp自体も台詞をある程度の目安に抜けることにして「こっちでも狙うけどある程度の調整は役者さんにも頼らせて頂く」と言う形です。
 さらに「繰り返し回数に応じてあるパートの演奏内容が変わる」というVampも設けていて、この辺りは奏者に対する信用あってこそやれたなぁという部分も大きいです。抜けを管理する者、合図で抜ける者、と、それぞれ役割を分散させるという考え方を適用してみたわけです。
 その上でそのVampの繰り返しもなるべく繰り返さずに済むように曲の尺を調整してあるので、結果的に極限まで「Vampに聞こえない」という状態に近づいているのではないかと自負しております。オケの皆様の集中力にかなり頼っておりますが……。
 もっとも、事の発端として「台詞後に歌う際に転調をしたかった」という事情もあった為に、こんなチャレンジングな事をしておりますが、ここまで指揮者(奏者)の判断に頼るVampもあんまりないだろうなぁと思ったりもします。笑

 もちろん「Vampを用いない」という「Vampの選択」をした部分も多々あり、それはそれでまた別の問題を孕みはするものの、基本的には日々伸びゆくお芝居に楽しく対応させて頂いております。

 あと何演目か作っていくうちに(作るとして、ですが)こういう試行錯誤を重ねていけば、また新たなVampの形も見えてくるのかもしれません。