机を買う話

2022.1.18

 家具を買うというのはかなり重要なステップだと思う。
 自分の場合、普段特に家具を気にするようなタチでもないのにふとした事から「良い机が欲しい」などと考え始めるのだ。

 椅子については人一倍考えてきたつもりだ。まずピアノ椅子に始まり、作業に適した椅子をずっと追い求めてきた。結果的に納得のいくものと出会えたかと訊かれると困る。少なくともピアノと向き合う椅子に関して一定の方向性は見つかっているものの、他の椅子については未だに迷っている。

「座る」という事だけで言えば二脚、うちにある椅子たちには心底納得いっている。
 しかし、椅子というのはただ座るだけではない。座って何をするかによって大きく求めるものは変わってくる。そう考えると納得のいくものはない。

 最近行った宿で炬燵に久し振りに入った。元来炬燵への憧れは強く、そこで居眠りなどした日には最高なのだろうと思っていたのだが観光旅行で行ったにも関わらずどういう訳か仕事が困るほど捗ったのだ。
 自分は正座は苦手だと思っていたし、胡座も同様に足が割と早く痺れてしまうのが悩みの種だったが、本来自分の骨格に合っているのは「地べたに座って机に向かう」というスタイルではないのかと思わざるを得ない。

 畳も好きなのだが、つまるところ和室に憧れているという事はないらしいという事も判明した。翌朝その宿の畳を丹念に嗅いでみたがどうやら本物の畳ではない。この事が何を意味するかと言うと、私が集中する為に必要なのは地べたに座って向かいあう為の適切な卓なのだ。

 もちろん、旅行先という非日常な空間だからこそそんなふうに思うのだとも考えたが、ある意味「日常」を「非日常」に持ち込んでしまっても「非日常」を厭わず集中出来たということの方が大きいという結論に至り、帰宅した翌日に家具屋に向かった。

 アウトレットで80%OFFという破格のステキな家具を見ながら、その店に入って暫く通ってきたエリアの一点物の家具が頭をチラついて離れない。

 アウトレットの中から「コレか、アレかな」と言いながら、やはりどうしても頭から振り払えない机があるのに気付く。別にアウトレットがどうこうという話ではない、こんなに頭を離れない机があるのに他のもので納得しようとしている自分に気が付いてからの判断は早く、今その机に肘を置いてこのエッセイを書いている。

 愛着と言うのは形を変えながら永久に続くものだと思う。愛着を持つためにはそのモノに対する執着と愛情が不可欠だ。