骨を折る話

2024.5.26

 残念ながら数日前、左足の骨にヒビが入った。中指の付け根だ。残念すぎるほどバカバカしい理由によるものだが後悔はしていない。

 二年ほど前には右足の骨にヒビを入れている。この時の理由はもっとバカバカしいので書いてみよう。爽やかな朝の事だった。自宅から駅に向かっている際に連れ合いとサムギョプサルについて話していて、私が「またギョプサりたいなぁ」と発言した所「そんな言葉は無い」と反論され、その単語を「サム・ギョプ・サル」と分別出来ることだけは知っていた為に私は「そんな訳はない」とスマホを取り出して調べようとした所、道路の本当に微妙な凸部に足を取られてグネった結果ヒビが入ったのだ。
 もちろん「ギョプサル」が「ギョプサらない、ギョプサります、ギョプサる、ギョプサれば、ギョプサろう」などと五段活用出来る動詞だと本気で思っていたわけではない。しかし……ヒビまで入れて調べたのに、結果「サム」が無いと意味が分からない言葉だと判明した時の私の落胆は皆様にも分かって頂けると思う。ただ、そのお陰で現在我が家では「ギョプサりたい」という言葉が通用するようになった。これはまさに怪我の功名とも言えよう。
 (今思えば、ミルフィーユ鍋なんかは見た目から「層の肉」と言えるのだから「ギョプサル」と表現しても良いのではないかとも思うのだが、私の過ちはそれを動詞として扱おうとしてしまっていた所にある。サルはあくまで「肉」の事なのでアル)

 グネって転倒した直後、ジーパンが大破してその先の膝もかなり傷付いてしまっていた事のショックも大きかった。普段からダメージジーンズについて疑問を抱いている自分がダメージジーンズを着用している事に対しての居心地の悪さを強く感じた事も印象深く残っている。

 

 それにしても、日比谷通いをしている時に足の骨にヒビが入ったらかなり困るだろう。日々、足のヒビを気にしながらヒビ谷を歩くのだ。ヒビ谷という地名も私を詰っているかのように思えてくる。
 普段はもう一回乗り継ぐのが面倒なので東京駅から劇場まで歩いているのだ。終演後も東京駅まで歩く。
 あるクリエ公演を人には言えないような高熱の中乗り切った際、一度だけ有楽町から東京まで電車を使った。池袋 – 目白間よりも近く感じたが、実際どうなのだろう。ただ、ヒビが入った状態であの距離を歩くのは大層「骨が折れる」事だろうし、心も折れそうだ。

 何よりも驚くのが、私としては「骨折」と「ヒビ」は別物だと思っていた所に、今回の病名を「骨折」と書かれた事である。「ヒビ」と何度も言っていると「フィビヒ」という名の作曲家が想起されるのは何故なのか。そんな事を考えながら日々生きている。

「骨が折れる」という言い回しを使うタイミングも考えられるべきだと思う。
「骨が折れましたよー……」なんて言っていいのは、折れている側からしたら本当に骨が折れている人だけなのだ。そもそも、もし人に自分の怪我を伝える場合、ヒビだけでは「骨が折れました」なんて言わずに「ヒビが入りました」と言うだろう。日本語はディテールを表現することに長けているのではないのか。

※ヒビの場合は「不全骨折しましたよ」と言うのが最もその状態を適切に表現しているそうです。