2024.5.22
2023年5月22日の武蔵ホール配信コンサートで演奏された自作についてのプログラムノートです。アンサンブル・カンナの皆様と共にじつに多様な楽曲を取り上げました。ご興味のある方は動画(←リンクです)と併せてどうぞ。
カンナのご挨拶 - Greeting of CANNA –
カンナが結成される遥か前、ピアノとファゴット三本という状態のユニットを組んでいました。組んでいたと言っても、機会があったらそのメンバーで演奏する、くらいのノリでしたが。そこにカンナの北原氏がいた事は取り敢えず置いておいて、ちゃんとオリジナルも書いたりしていたのです。
もう十数年前の話ですので残っていない情報もあります。その時に書いた「タランテラ」という曲が割と良かったので今回引っ張って来ようと思ったらデータが無かったりするわけで。今となってはむしろ良かったとすら思いますが、何故その曲だけが残っていないのかは未だに分かりません。あの時渡してしまった一眼とみずほ銀行の口座に紛れていたのかしら……んなわけはない。
今回はその時の団体で演奏をする際に最初に演奏していた物の意匠を少し借りて、オープニングアクトへの入り口と致しました。
カンナの肖像 - Portrait of CANNA –
I. 序曲 (Overture)
II. 小林佑太朗 (Animato)
III. 岡田志保 (Cantabile)
IV. 本田早紀 (Barcarolle)
V. 北原亮司 (Feroce & Finale)
(※ 文体が多少異なりますが、内容に準じたものではございますのでどうかご容赦を!)
アンサンブル・カンナさんは……などと下手に「さん」を付けると、対戦相手の高校を呼ぶ時の野球部の監督みたいだな、と思いつつ。
改めましてアンサンブル・カンナさんは、非常にバランスの取れたメンバーで構成されていると思う。それぞれが似ているというわけではないのに、それぞれが纏っている空気みたいのものに共通項を感じる。つまり、極端に振り切ってしまっているヘンな奴が居ないとも言える、本当に恵まれたアンサンブルである。
余談かもしれないが、こういったアンサンブルが解体してしまう原因は大体「ヘンな奴」だと考える。ヘンな奴だけで構成されている団体は長持ちしている。そりゃそうだ、ヘンな奴同士理解し合っているのかどうかは別としてお互いに気にもし合わないのだから誰かの気が変わりでもしない限り解体のキッカケも無い。
大半が変でその中に一人マトモな観点を持った者がいる場合は、その一人がやがて消える。その一人は、最初は「自分がちゃんとしなければ!」と思うのだがやがてその事が結局何の意味もない事に気付くのだ。すると、パイロットを失った飛行機と同じ状態になる。(オートパイロットは機能しないものとする)
大半がマトモで一人が変な場合の方が問題は深刻化しやすい。みんなが一人に気を使い続ける状態が長く続いてしまうからである。私もそういう面で割と経験を積んで来たが、やはり問題のある相手に対して「何とか変わってもらえないものか」と思ってしまうのだ。しかし経験上、今となっては自明の理だが、人は変わらない。そもそもその「ヘンな奴」に該当する者がこういう文章を読んでもそれが自分だという事に気づかないのだ。という文章を読んで尚、気付く事はないであろう。
話を戻しましょう。
この間、と言っても随分前の話だが、ドルチェ楽器で行われた同団体の演奏会を聴きに行かせて頂いた時に、かつての自分が書いたと言われる曲に対して、惜しみない敬意を抱いた。もちろんその曲はアンサンブル・カンナさんの委嘱によるもので、間違いなく私が書いたものなのだが、同席していた彼女(現在の妻である)と「なんていい曲なんだ」と何度も言い合い、隣に座っていた先生(敢えて名前は伏せます)にも「本当にいい曲ですよね」などと絡み、演奏後にその先生が「何故演奏後に作曲者を紹介しないんだ」とお怒りになるのを必死で宥めたものである。
もちろん、カンナさんは……と「アンサンブル」を欠落させると橋本姓に直結しそうで怖い。もちろん、カンナの小林氏に「俺を紹介するなら行かない」と、近年の作曲家には大変珍しい実に消極的な一面を見せたのを、ただ守ってくれただけである。こういう所も個人的には本当に嬉しい所だ。
それ以降ずっとこの構想は温め続けてきた。それぞれの人物をイメージした楽曲を書くというアイデアである。最初は五線に全員の名前を書いてみたりした。漢字、平仮名、アルファベット。さらに、名前のローマ字表記に音名を当ててみたりした。高校生の頃から行っている常套手段であるが、当然の如くなんか違う結果になった。
がしかし、我々の付き合いはそう短くない。各個人を頭に思い浮かべると割とすらすらとフレーズは生まれてきた。そう、各個人の主題自体は早々に決していたのである。
以下、人物の登場順に楽曲に因んだ事を書き連ねてみた。
小林佑太朗氏には全く頭が上がらない。まずこの曲の締切を壊滅的に守れなかった事と、フランス近代ファゴット作品との出会いを仲介してくれた事である。思えば彼と初めて演奏したのはボザだった。もちろん他にも頭が上がらない理由は沢山あるが、今回ばかりはこの二点に絞られよう。
岡田志保氏は、メンバーの中で一番優しいのではないかと推察される。怒った所が想像できない。もっとも、憤慨している所を無闇矢鱈に人に見せるような気性の人間はファゴットという楽器自体向いていないのだが。
岡田志保さんに幸あれ。それしかないのである。
本田早紀氏は出会った順番から言うと、決して新しい知り合いではない。多分、一緒に本番(試験を除く)をやった回数も、メンバーの中で一番少ないというわけでもないと思う。
そこで敢えて言うが、多分俺は本田さんのことをあまりよくは知らない。ただ、音楽的事象として鮮烈に記憶に残っている事はあるのだから面白い。これが本人のトラウマになっていない事を祈る。
北原亮司氏(敬称略)は、最も旧い知り合いと言って良いだろう。個人的には最初からもっと仲良くしたかったのだが、知り合った最初の日に二人っきりで池袋のビックカメラを無言で何時間もウロウロしたせいか、リアルに10年程疎遠を余儀なくされたものだった。私の若かりし頃の本番前舞台袖での素行のせいで、彼の奥さんからも敬遠されていると聞く。
最近では月一のペースで会うくらいの中にはなった。それだけが何よりの宝物だ。
全曲を通じて、露骨な引用が二件ある。果たして結果にどう繋がるか分からないが、今回の引用については確信を持って「こう書きたい!」という意志を持った確固たる引用であるという事は書き添えておこう。そのうちの一つには是非聴衆の皆々様にも気付いて頂けたらありがたい。まさかマイケル・ジャクソンを軸に一楽章ぶん書いたと言っても信じてもらえないだろうが、実際そうなのだから。
もう一件はカンナのうち半分が関わっていたこちらである。
日本歌曲メドレー (浜辺の歌 〜 赤とんぼ 〜 雪 〜 花 〜 ふるさと)
これまで無数の「ディズニーメドレー」と「ジブリメドレー」と「日本の歌のアレンジ」といった仕事をして参りました。その中でも特に気に入っているものの一つがこちらです。
どれも本来は有節歌曲ですので、伴奏は歌詞の内容が変わっても同じ場合がほとんどです。楽器で演奏するという事は「歌詞が無い」(井上陽水ではありません。彼が無いと言っているのは「傘」です) 状態という事なので、何かしらの操作をしないと二番以降は旋律も伴奏も全く同じ事の繰り返しとなります。
この編曲では、歌詞の内容に過敏に反応して大胆に伴奏を弄り回しました。その内容が心象風景として想起出来ないものかと目論んでみたのです。もちろん小林君の委嘱で書いたもので、彼の譜面のメロディ部分の下に歌詞が手書きでびっちり書かれているのが肉眼でも確認できます。つまり旋律の歌い回しも歌詞に応じて吹き分けているという事なのです。
もちろんこれを聴いて歌詞が浮かんでくるわけはありませんが、作品として聴いた時に何らかの機微を感じ取って頂ければ成功なのかな、と考えています。
Bassoon – Studies ~ワイセンボーンの主題による~
恥も外聞もなく言わせて頂きますが、これは本当によく書けています。
東京芸大のファゴットアンサンブルの演奏会に向けて委嘱され、もう一度聴きたいなぁと兼ねてから思っていた為、今回取り上げて頂きました。
ワイセンボーンのエチュード第15番のメロディーをテーマに変奏を重ねていくという内容なのですが、その変奏はそれぞれワイセンボーンの他の番号のエチュードの要素を基に行われています。さらには露骨かつ流麗な引用もあり (もちろん手前味噌です) さらには15番の変奏としてカウントされていないセクション (6番と10番と13番のミックスのようです) もあったり……この辺りはやはりゴドフスキー=ショパンのエチュードを知っていたからこその発想なんだろうなぁとしみじみ思いますが、聴けば聴くほどこれは凄いなと思ってしまいます。
俺も、もっとワイセンボーンを知っていたらもっとこの曲を楽しめるのでしょう。書いた当時、ワイセンボーン漬けだった記憶はあるのにどうして忘れちゃったんだか。
それでも進まなければならない - Avancer même si c’est dur for CANNA –
どうしたって回避出来ない事があります。そういうイレギュラーを想定していなかったわけでもないのに、そこを軽く飛び越えて生活を侵蝕してくる程嫌な想いをする事だってあります。私自身、割と弱い人間なのでそうなってしまったら最後、立て直すのに膨大な時間を要してしまう事もしばしば。
空元気も、続けていれば本当に元気になることもあるようです。そうしてでも進み続けなければならない。そういう曲です。
兎にも角にも、アンサンブル・カンナを是非聴いて頂きたいのです。