ピアノ 巴里ノ一茶音楽考

2026.1.19

 ピアノほどオーケストラの中で音が浮いてしまう楽器はないと思います。(一部の超特殊楽器を除いて)
 これは決して欠点ではなく、むしろピアノという楽器の個性そのものなのですが……

 ピアノ協奏曲は大好きです。これはピアノ対オーケストラという状態があるからこそ成立していると思っているし、やはりピアノという楽器が決してオーケストラに混ざらないという事があるからなのだと考えてしまうのです。
 ショスタコーヴィチなんかはそれを逆手に取って素晴らしい効果を生み出しているなぁと思いますし、ストラヴィンスキーは……例えば「火の鳥」の編曲の際に編成の縮小の過程でピアノを巧妙に組み込んでいます。
 また、サン=サーンスのようにピアノにしか出来ないような事を強調して強引にオーケストラの中での存在意義を見出させようとしたりと、作曲家それぞれにオーケストラ内にピアノを引き入れようと試みている例は多くあります。

 しかしこれはあくまでクラシックのオーケストラの話。ミュージカルのオーケストラではわりとよくある事で、むしろピアノを中心に音が構築されている事のほうが多いと言っても過言ではないと思っています。
 そもそも、オーケストラに合わないとは言っても、それぞれの楽器とピアノの音は親和性が悪いわけがなく、ピアノの音が浮く……良く言えば「音が立つ」理由は、音程の取り方がどうにも平均律であることや、音量操作の鈍重さに起因する部分が大きいのだと思っています。
 ピアノ五重奏曲や六重奏曲という場合には、弦楽四重奏や木管五重奏の皆様に合わせて頂いているのだと肝に銘じて挑んでおります。

 

 絶賛上演中の「ISSA in Paris」の編曲の際、ピアノの用法に拘っている、という話なのですが……こちらは純正律平均律云々の話ではありません。

 そもそも過去の日本、過去のパリ、そして現代を行ったり来たりする演目になるようだというのが分かった時点で、漠然とどうしようかなぁと考えた時、まず和楽器の使用はシンセサイザーの音色含めて一切行わないという事を決めました。
「やがては国際的な演目にしたい」という熱い想いを聞いて、その取り決めは何としても守ろうとより強く思うようになりました。

 次に、音で時代感をある程度感じて頂ければ良いなぁと思案しました。
過去の日本やパリ……これが時代的にめちゃくちゃ微妙で、日本に西洋音楽が浸透し始めていたとはお世辞にも言えず、シーボルトの来日以降を含め、この時代の日本では、西洋鍵盤楽器が一般的に接されていたとも言い難く、フランスで考えた所でモーリー・イェンストン氏の楽曲に相応しい響きはまだ厳しい……くらいの時期なのです。(モーリー氏はクープランがお好きと聞いてはいましたが、それとこれとは話が別で。笑)

 そもそも現在我々が接している状態のピアノが当時まだ存在しないので、歴史的なピアノ……例えばフォルテピアノやクラヴィコードなどの音色を用いる事も考えましたが、しっくり来ず。もちろんチェンバロも視野には入りますが、ずっとそれでは流石にミュージカルとしてどうかと考えてしまいます。
 (結果的に、時代考証的にそこだけド直球な事をした「ある曲」の前奏でしか使っておりません。)
 当然ながら楽曲が要求する響きを出すには当時の状況を馬鹿正直に適用するのでは弱すぎるのです。

 もう少し締め付けを緩めようと思い、原理的に存在した楽器はOKとすれば、生楽器はもちろんギターやハープも使用可能になります。(ここで「ツィンバロンの発音原理は今のピアノとあまり変わらないだろう」と言うような重箱の隅突きは御勘弁。笑)
 さらに、自分の中で過去パリでのクラリネットの使用も許可した時に、色々凝り固まっていた考えが解れてゆき、最終的には単純に「ピアノの音色の有無」を厳格に行うことで過去と現在を分ける事に致しました。

 これが如実に顕れるのがいわゆるM18の「俳句」で、海人とルイーズが歌う箇所と、一茶とテレーズが歌う箇所とで、伴奏にピアノが加わっているかハープが加わっているかを分けています。同時に歌う所はもちろん同時に鳴っているわけです。
 一箇所だけその決まりを破っているように見えるシーンがありますが、それは舞台面をご覧頂ければ何故そこでピアノが鳴っているかご理解頂けることでしょう……。