「ヴァイオリンソナタ変ロ長調」書簡

2023.6.2

 大作曲家と言えば、と問われればそれはもちろん「書簡」でございます。

 多くの名作曲家が、(聞かれてもいないのに) 友人やなんかにその時書いている曲の内容や進捗についてのお手紙を送っているのです。それらがまとまっている状態のものを現代の我々が有り難がって「書簡集」などと格式ばった命名の下に崇め奉ります。

 有名どころで言えばモーツァルトの下品なものが挙げられます。……が、作曲家本人の認めた作曲の経緯の詳細を垣間見られるという事は、作曲の背景を知るにはこれ以上にない資料なのです。(決して「楽曲の詳細を把握するには」とは書いていないので、どうぞ誤解なさらず)
 あ、一言付け加え忘れました。「それが嘘だとしても」です。

 そんな書簡に憧れて、いつかそういう事をしてやろうと考えてはや数年。桜田氏とも常日頃こんな話をしていた事もあり、これは好機とばかりに (そんな事する暇があるなら曲を書けよと言われるのも辞さず) 徒然なるままに認めたものを、本曲のプログラムノート代わりに全文公開したいと思います。


ヴァイオリンソナタ書簡 No.1

2023/05/22
拝啓 桜田 悟様 

 私はつい先日まで清水におりました。
ピアノのある練習室を楽屋として与えて頂けたので、公演がない時間は劇場にいる間ずっとピアノに触れられるという、まさに”天国”でした。そこで私は今度の会で演奏するヴァイオリンソナタについて思索を巡らせていたのです。

 こと私は旋律というものに異常なまでの執着がありますので、今回も例に漏れずその旋律との巡り合いを待っておりました。そうした時に私の指が奏でた四つの連続するコードが私の中で何か引っかかったのです。
 言うなれば「和声主題」とでも申しましょうか。下手をすると俗的すぎると言わせてしまうかもしれませんが、私はこの主題を今回の創作の要にしようと決めました。
 その和声主題に、それだけでは意味を為しづらい線対称的な旋律を乗せて私の作曲は始まりましたが、現在は第二主題への足掛かりを模索中です。

 第一楽章はそう大きな楽章にはしないつもりです。最終楽章にあたる部分には、少々勇壮な主題を既に用意してあります。
 桜田氏の期待に添えるような楽曲になるかどうか不安ですが、ピースさえ嵌ってくれれば一挙に進む音楽だと信じておリます。私が三日後に博多に発つまでにある程度のところまで書き上げられるようどうかお祈りください。

 ただ一つ謝らなければならないのは、今回のソナタは変ロ長調になってしまいます!あぁ!主はこれを許してくださるでしょうか!

追伸: 明日の合わせには当然ながら譜面は間に合わないでしょう!私がこれを明日までに書き上げる可能性があるとしたら、それは貴方の御子息が明日成人を迎える可能性よりも低いのです。
 明日は素晴らしい英国の香りに溺れる日になりそうですね。

船橋にて
森 亮平


ヴァイオリンソナタ書簡 No.2

2023/05/23
サクラダ・ファミリア様

 今日が貴殿の誕生日だという事を失念していた事、一生の不覚です。
しかし、本日の合わせは大変充実したものだったと自覚しています。来たる本番への期待感が高まるばかりです。

 さて、ヴァイオリンソナタの進捗に関してですが、着実に完成へと近づいています。しかし、明日中に完成させるのは困難を極めるでしょう。
 本日拙作の「ちょっとした変奏曲」を演奏していただいて改めて、今の私が書く変奏曲というものを提示したくなりました。もしかすると最終楽章は変奏曲のスタイルを用いたものになるかもしれません。

ご自愛専一にて。船橋より
森 亮平


ヴァイオリンソナタ書簡 No.3

2023/05/24
桜田 悟様

 34歳の二日目を如何お過ごしですか。私よりも年上の方にこのような送り方をしてしまっている事につきまして、心よりお詫び申し上げます。

 良い報せとあまり良くない報せがあります。まず、ソナタの第一楽章が完成しました。さらに、第二楽章の構想が立ち上がりました。
 良くない報せは、それらの出来やアイデアにあまり自信が無いということです。

 今回、第一楽章は空間的な様相の中に表情のある第二主題が不意に顔を出し、さらに空間的で旋法的な展開部を経た結果、最終的には俗的な雰囲気の中に響きが沈んでいくという構造です。桜田氏と演奏すれば何とか形になると思って書いているものではありますが、我々のいつも話す「譜面の雄弁さ」については欠いていると言わざるを得ない見た目です。
 第一楽章のヴァイオリンの譜面を添付しますので、どうぞご査収ください。

 第二楽章は、モダンなクライスラーのような比較的親しみ易いものを目指しています。残りの楽章は月末になるか、または完成しないでしょう。今回のプログラムと並べるには第一楽章だけでも良いのかもしれないと思い始めてもいます。

船橋在住
森 亮平


ヴァイオリンソナタ書簡 No.4

2023/05/29
雷門 悟卿様

 博多から帰って参りました。向こうにいる間、片時もヴァイオリンソナタの事を忘れた事は無かったと言えば嘘になります。
 本番は全身全霊で行い、その前後の隙間の時間にある程度博多を楽しんだ事を聖ミカエルは許してくださるでしょうか。

 しかし、題材を集めていなかったわけではありません。博多は実に魅力的な街でした。
 二つのアイデアが新たにあります。緩徐楽章の事を考えていた時に、今書いている最中の第二楽章の主題冒頭が、以前書いたものと似通っていた事に気付いたのです。昨年末に書いた物、一緒に演奏しましたが覚えておられるでしょうか?ある俳優の演奏会で、一幕と二幕の休憩中に作曲をするいう趣向で二曲書きましたよね。
 そのうちの一つは特にそのままにしておくのが惜しいような出来で、あの感動がまた得られるならば、と今回のソナタに組み込む事に決めました。もちろんそのままではありません。必要な処理や加筆はもちろん行なうつもりです。

 それに、先ほどまで私は第二楽章の大詰めに掛かっていたのですが、主題一つで大変こじんまりとしながらもディオニュソス的な側面を持つ楽章に仕上がりそうです。
 もう寝ます。神のご加護があらん事を。

船橋にて
森 亮平


ヴァイオリンソナタ書簡 No.5

2023/05/30
櫻田 悟様

 少しばかり体調が思わしくなかったのですが、このような時こそ作曲に精が出るものと思い、起きた勢いで第二楽章を仕上げました。
 その後もう座ってもいられなくなり、取り敢えず演奏会の演目の練習は行わねばとピアノに向き合い、数時間。ウォルトンやフィンジの和声が朦朧とした頭に響き渡り、普段とは全く異なる角度で楽曲を見渡すことができました。

 本日中に第三楽章はある程度仕上げておかないと本番の日までに全曲が完成する事など、無いのです。

船橋より送信
森 亮平


ヴァイオリンソナタ書簡 No.6

2023/05/31
桜田 悟様

 明日の合わせを控えて、ヴァイオリンソナタについてのお手紙はこれが最後となる事でしょう。と言っても、日付を超えましたので、明日の合わせは今日の合わせと言い換える事が出来ましょう。
 昨日、と言っても日付を超えましたので厳密に言えば一昨日ですが、思わしくなかった体調は今朝起きてから回復の一途を辿り、まず私は第三楽章を仕上げました。これについてはもともと完成形が確実なものとして見え過ぎていた為、完成しても「あぁ、出来たな」といったところでした。

 その後ピアノの練習を少々行い、いよいよ最終楽章に取り掛かり、数日前に私が放った「変奏曲にするかもしれない」という言葉はどこへやら、いざ完成してみると何の事はないロンド形式の楽章になったというわけです。

 このヴァイオリンソナタを書く際に、全体の印象を極端に長いものであったり、大仰なものにはしたくはなく、得意の大展開部は避けようとして参りましたので、あまり調子に乗るわけにもいかなかった反面、書きたい衝動は抑えられずに書いた結果、とても本番前日にお渡しする分量ではない譜面となってしまいました。と言っても、日付を超えているとは言えまだ私は寝ていないので、本番二日前という表現も出来ましょう。

 明日の合わせで全楽章を本番に掛けるかどうかを決める事に致しましょう。

船橋 夜中の3時半am
森 亮平


 毎晩のようにこんな事してる暇があったならその時間も曲を書けば良かったんじゃないのか。